Runaway Love
「茉奈さん?」
「えっ、あ、ごめんなさい。何?」
 すると、野口くんが眉を下げてあたしを見ているので、ごまかすように微笑んで返した。
「――いえ、忙しそうなんで、大丈夫かと思って……」
 その言葉に、今度は、本心からの笑みが浮かぶ。
 ――……ちゃんと、気遣ってくれるんだ。
 そんな気持ちがうれしくて、あたしは、そっと、ギアに置いていた手に触れ、野口くんを見やる。
 感謝の気持ちは、伝わるだろうか。
「……まあ、忙しいけど、大丈夫よ。慣れてないだけだから」
 すると、すぐに指が絡められ、あたしは固まる。
 その、長い指が、そっとあたしの指を、ゆっくりと撫で回しているのだ。
「……の、ぐち、くん……」
 何かが呼び起こされるようなそれに、あたしは肩をすくめて、手を離しそうになるが、彼は許してくれない。
 ぞわぞわとしたものが、背筋を駆け巡る。
「――んっ……や……あっん……」
 思わず出てしまった声に、慌ててうつむく。
 ――……は、恥ずかしすぎる……っ……!
 だが、野口くんは、うれしそうに言った。
「茉奈さん、こんなトコも感じるんですか?」
「バ、バカぁ……」
 必死に逃れようとするが、野口くんは離すそぶりも見せず、淡々と片手でハンドルを動かしている。
 今が夜で――暗くて良かった。
 こんな、真っ赤になっただろう顔を、外から見られるなんて、考えたくもない。
 けれど、野口くんは、最低限の動き以外、あたしの手に触れてばかりだ。
 そして、アパートの前で車を停めると、ようやくちゃんと手を離してくれた。
 唇をかみしめて声を抑えたせいか、必要以上に消耗してしまった。
「――あ……あ、りがと……」
 あたしが、呼吸を整えながら、そう言ってバッグを持つと、腕が引かれ、軽くキスをされる。
「明日も迎えに行きます。ちゃんと、スマホ見てくださいね」
「え、で、でも」
 いくら何でも、毎日は厳しいのでは。
 それに、この時期、経理部の仕事も、残業無しは無理だろう。
 ただでさえ、今は二人も抜けているのだから。
 だが、野口くんは首を振った。
「待っててください。――約束ですよ」
「……わ、わかったわ……」
 思いのほか強い口調に、あたしは、うなづいた。

 部屋に入り鍵をかけると、あたしは、バッグをラグに投げて、ダッシュでタンスを開ける。
 必要最低限しか無い服の中から、見られそうなものを引っ張り出すが、問題は下着だ。
 張り切っているとは、思われたくないけど!
 期待してるとか、思われたくないけど!!
 万が一を考えたら、恥ずかしくない姿ではいなきゃ。
 あたしは、思わず、初めての時を思い出す。

 ――……あの時、あたし、大丈夫だった……⁉

 今さら、岡くんに聞く訳にもいかないけれど……確か、割と新しいものだったはず。
 ――ていうか、脱いだ記憶も、脱がされた記憶も無いけどさ。
 あたしは、脱線しかけた思考を引き戻す。
 疲れて、回路がおかしくなっているんじゃないだろうか。
 急に力が抜け、あたしはベッド脇に座り込み、顔だけをマットに沈ませる。
 そして、先程まで撫でまわされた右手を、左手で包み、悶えそうになる。
 自分でも気づかない性感帯を開発されてしまい、恥ずかしさで首を思い切り振った。

 ……と、とにかく……今度こそ、覚悟しなきゃ。

 恋人でいると決めた以上――たとえ、恋愛感情でなくても、そういう事はしなきゃいけないんだから。

 ――……けれど、それが、お互いに良い事なのかは、考えたくなかった。
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