Runaway Love
 駅を通り過ぎ、バスターミナルの時刻表を見やれば、すぐに最終のバスが来るようで、あたしはそれに乗る事にした。
 同じように待っている人達は、仕事や、お墓参りの帰りのようで、いつもよりも乗客は多そうだった。
 到着したバスは、始発ともあって、時間どおりに発車する。
 あたしは、真ん中辺りの一人掛けに座ると、暗い中、まだ明るさを保っている看板たちを、ぼんやりと眺めた。
 実家方面は、公共機関や学校、住宅地も近いので、バスもまあまあ通っている。
 二十分程でいつものバス停に到着し、降りるのは、あたしだけ。
 ガソリンスタンドの手前から歩き出し、五分もしないうちに、実家の店が視界に入った。
 夜遅いとはいえ、まだまだ、出歩いている人も多く、近くには深夜近くまでやっている複合施設もある。
 あたしは、すれ違う人達から視線をそらしながら、実家にたどり着いた。
 鍵を開け、中に入ると、靴も脱がずに上がり框に座り込む。

 ――……もう、いい加減にしてほしいのに……。

 ――……なのに……。

 あたしは、唇に手を当てる。
 彼のキスが、離れた途端に恋しくなるなんて、思いたくない。

 ――……これ以上、あたしを揺るがさないで。

 あたしは、あたしを捨てたくない。
 ――何も変わらず、静かに生きていきたいだけなのに。

 視線を落とすと、涙がこぼれてきた。
 この前、泣いてから――急に涙腺が弱くなった気がする。
 すると、バッグが振動し始め、ビクリと肩を震わせた。
 そっと中から震えているスマホを取り出すと、画面に映し出された名前に、無意識にホッとしてしまう。

『――おう、今どこだ?』

 こちらが返事をする前に聞こえてきた早川の言葉に、苦笑いが浮かぶ。
 あたしは、無理矢理涙をこすって止めると、深呼吸して答えた。
「実家よ。――さっきまで、家族と外で食事してたわ」
 すると、何か返ってくると思っていた言葉が返って来ず、あたしは眉を寄せる。
「――……早川……?」
『――……何があった』
「え?」
 あたしは、何の事を言っているのか、本気でわからず、聞き返す。
「……何よ、それ」
『――……泣いてたんだろ。……声が違う』
 その言葉に、息をのむ。
 ――……何で、コイツはいつもいつも……。
『おい、茉奈。お前、実家どこだ』
「え?」
 自然に呼ばれた名前に違和感は無く、あたしは普通に聞き返してしまった。
『――これから行く』
「え、い、いいわよ。何考えてんのよ」
 あたしが慌てて拒否すると、早川は強い口調で続けた。

『大事な女が泣いてるんだぞ。――行かない訳無ぇだろうが』

 そんなセリフを、どうして、あたしに言うのよ。

 締め付けられる胸を押さえながら、目を閉じる。

「――……ありがとう。……でも、本当にいいから」
『茉奈』
「……こうやって、アンタと話してるだけで、落ち着いてきたみたい。――……だから、大丈夫」
 すると、電話の向こうの早川が、何かうなっている声が聞こえた。
「早川?」
『――……ズルいな、ホント、お前は……』
「な、何よ」
 言いがかりをつけられ、あたしはムッとして返す。
 すると、早川は、ククッ、と、笑いをこらえて言った。
『無意識、無自覚も大概にしろよ。――勘違いしたくなる、って、言っただろうが』
「――……だから、わかんないってば」
 ふてくれるあたしに、早川は続ける。
『……わかれよ、バカ。――……本当に、大丈夫なんだな?』
「……ええ」
『じゃあ、大丈夫じゃなくなる前に連絡しろよ』
「――……無いわよ、そんな事」
『だと良いんだけどな』
 早川は、少しだけ抑えた声で、そう言った。
「――……まあ、心配してくれてるのはわかるから……」
 あたしの耳に伝わるのは、声だけではない。
 ちゃんと、コイツの情も伝わっているのだ。
 すると、早川は、遠慮がちに言う。
『……じゃあ、礼代わりって言ったら何だが、一個だけ良いか』
「え?……ええ、まあ……何よ?」
 あたしが聞き返すと、早川は、一瞬口ごもるが、続けた。

『――……俺のコト……名前で、呼んでくれ』

「え」

 耳元で囁くような声で言われ、あたしは、無意識に服を握る。
 ――……まるで、恋人に言うような声で、恋人に願うような事を言わないでよ。

『――茉奈』

 いつの間にか、そう呼ばれるのに抵抗が無くなっている。
 あたしは、少しだけ息を吐いて、口を開いた。

「――……た、崇也(たかや)……?」

 その瞬間、電話の向こうの早川は、息をのんだ。
 そして、ポツリとつぶやく。

『……ヤベェ……興奮して寝られそうに無ぇ……』

「バッ……バカなの⁉」

 あたしは、真っ赤になって、電話を切った。


 ――……いつの間にか、涙は止まっていた。
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