Runaway Love
 二人、しばらく口を開けず、ただ、素肌のまま抱き合う。
 このまま逃げてしまえば――きっと、野口くんに、消えない傷を作ってしまうだろう。
 すると、彼は、ゆっくりとあたしを離して、悲しそうに微笑(わら)った。

「――……オレに、気を遣う必要はありません。茉奈さんが苦しそうにしている方が、辛いです」

「――……駆くん……」

 あたしは、小さく息を吐くと、うなづいた。
 そして、震えてくる声で、絞り出すように話す。

「――……あ、あたし、ね……」

「――ハイ」

 つられるように身体も震えてくる。
 緊張に押しつぶされそうだ。

 ――……でも、ちゃんと言わないと。

「駆くんと、こうやって……付き合ってるのにっ……」

「――ハイ」

 途切れ途切れに出てくる言葉に、野口くんは、ただ、相槌を打つだけ。
 ――それが、辛い。

「岡くん……や……早川、とも……二人きり……で……会ってた」

「――……ハイ……」

 冷静になろうとしている彼の心情を考えれば、ウソをついてでも、安心させてあげれば良いのかもしれないけれど――きっと、それは、すぐに見破られるに違いない。


 ――”いつか、後悔するぞ”。


 ……うん、早川。
 悔しいけど、アンタの言う通りだ。


 ……後悔なんて、とっくにしていたのに――認めたくなかっただけ。


「――……茉奈さん」
 野口くんは、うつむくあたしを再び抱きしめる。
「……ごめんなさい……。ウワサを無くすつもりだったのは、本当よ……。でも……」
 あたしは、流れてくる涙をそのままに、できる限りの言葉を口にすると、彼は首をゆるゆると振る。
「――それでも、ズルい方法で交際を迫ったのは、オレの方です。……あなたの気持ちがオレに無いのは、わかっていたのに――」
「――ち、違っ……」
 すると、野口くんはあたしを抱く腕に力を込める。
 まるで、続きを聞きたくないと言うかのように。

「――……茉奈さんの、オレへの気持ちがどんなものであろうと、オレは、あなたが好きですから」

 あたしは、野口くんの胸から顔を上げる。
 目の前には、優しくあたしを見つめる彼の、キレイな顔。
 その真っ直ぐな視線に、頑なな気持ちに、少しだけヒビが入った。
 

「――……だって……本当に……わからないの……」


 ポツリと出たのは――紛れも無い、あたしの本心だ。
 野口くんは、何も言わず、あたしの言葉の続きを待つ。

「駆くんも、岡くんも――早川も……何であたしなんか、好きなのよ……」

「茉奈さん」

「――……こんな、可愛くも無い、愛想も無い――頑固な……つまらない女なのに……」

 いつまでも刺さり続ける棘。
 でも、これを伝えなければ――本当のあたしを、わかってもらえない気がした。
「……以前(まえ)も、そんな事、言ってましたよね……」
 野口くんは、眉を寄せて、あたしを見た。
 あたしは、かすかにうなづく。
「……本当のあたしは、そうなの」
「何……言ってるんですか、茉奈さん……」
 否定しようとした彼の言葉に、あたしは被せるように続けた。
「だから、ね……みんな、気のせいなのよ。……きっと……熱にうかされたようなもの。いつか、必ず冷める――……それだけなの……」
「なっ……」
 彼は、勢いよく、あたしを引きはがす。
「そんな訳、無いでしょう!」
「そうなの!」
 思わず荒らげた声に、野口くんは、一瞬、固まる。

「――……だから……一生、一人でいたいの……。その覚悟で、ずっと生きてきた自分を捨てるような……恋愛なんて、したくなかった……」

 何か言いたげにしていた彼は、けれど、何も言わずに、あたしを抱きしめる。
 そして、自分の胸に、あたしの耳が来るように押し当てた。
「駆くん……?」
「――……聞こえますか。……オレの心臓の音……」
 その問いかけに、あたしは、うなづく。
 早鐘を打つようなそれは、確かに、彼の気持ちだろう。
「――……あなたに触れて……繋がれて――こんなにうれしいのに……それを、あなたが否定するんですか」
 あたしは、唇を噛んで、首を振る。
 ――その気持ちは、うれしいのは確か。

 ――でも……。

 いつだって、繰り返し、呪いのようによみがえってくるのは、あの人の言葉だ。

「……茉奈さん……」
 野口くんは、そっと、あたしの頭を撫でた。
「――……少し、話でもしましょうか」
「……え?」
 そう言って、彼は続ける。

「”あなた一人で仕事してるんじゃないんだからね”」

「え?」

 不意に出てきた言葉に、あたしは、思わず目を丸くした。
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