Runaway Love
 あたしは、店の裏手に歩き出す。
 帰る人達の視線が、少しだけ怖くて――誰もいない場所に行きたかった。
「茉奈さん?」
 岡くんは戸惑いながらもついて来る。
 先日、キスマークをつけられた場所で、あたしは振り返ると、口を開いた。

「――……あのさ……あたし、ね……一度、野口くんと距離を置く事にしたわ」

「――……え……?」

 彼は、目を見開いて、硬直する。
 あたしは、壁に背を預け、視線を上に向けた。
 お盆を過ぎた夜の風は、少し冷たくなり、夜空はもう秋の気配になっている。

「……まずは、さ……アンタ達の事よりも先に、ずっと、長い間、向き合えなかった――あたし自身と向き合いたいと思ったの」

「……茉奈さん……?」

 あたしは、顔を上げたまま、つぶやくように続ける。

「――……ずっと、逃げてきたいろいろと向き合ってみて……あたしは、自分の何を守りたかったのか――答えを出したいって……そう、思ってさ……」

 岡くんは、真っ直ぐに、あたしを見つめたまま、微動だにしない。
 じっと、あたしの言葉を待ってくれている。
 それだけで――彼の真剣な想いが伝わるよう。
 あたしは、そのまま、彼の方に向き直って言った。

「――……アンタの気持ちに応えられるかどうかは、それからだから……」

 瞬間、息をのむ音が聞こえ――次には、キツく抱きしめられる感触。

「……何の保証も無いわよ」
「――……充分です……っ……!」
「……言っとくけど……野口くんも――早川も、同じだからね」
「……絶対に、負けません」
「どこから来るのよ、その自信は……」
 半ばあきれてしまうが、岡くんは、あたしを離すと、真っ直ぐに見つめる。
 視線をそらせないまま、もう、条件反射のように後ずさるが、後方は壁。すぐに、背中がぶつかる。

 ――逃げ場は、無い。


「オレが、一番、あなたを愛してますから」


 そう言って、彼は、あたしに口づける。
 軽く触れ、次には少しだけ唇を噛む。
 数回繰り返すと、唇を割って、舌が入り込む。
「――……ん……っ……」
 そして、徐々に激しくなり、足元が崩れかけるが、軽々と受け止められた。
 呼吸するために離した唇は、すぐにふさがれる。
 気が遠くなっていくとともに、身体の中心(なか)は、彼を求め始め、あたしは無理矢理制止するように離れた。
「茉奈さん」
「――……だからっ……こういうの、困るのっ……」

 ――あたしが、あたしではいられなくなる。

 頭の中が、岡くんでいっぱいになってしまう。

 そんな状態で、何を考えられるというの。

「でも、野口さんとは寝たんですよね」
「――……っ……」
 その責めるような言葉に、一瞬で胸を抉られる。
 あたしはうつむき、唇を噛んだ。
「茉奈さん」
「だってっ……」
 仕方なかった、なんて、野口くんに失礼だ。
 あたしは、顔を上げ、岡くんを真っ直ぐに見て言った。

「――あたしの選択は、あたしの責任よ。アンタに口出される謂れはないわ」 

 どんなに傷つけるとわかっていても――あの時、あたしの中には、他に選択肢なんて無かった。
 それが、アンタや早川をも傷つけるとわかっていても。

 岡くんは、一瞬固まったが、すぐにあたしを再び抱き寄せた。
「――……わかりました……。……でも、今のあなたは自由なんですよね」
「……い、一応、まだ偽装はしてるわよ。……目的は果たしてないもの……」
 すると、岡くんは、困ったように笑う。
「じゃあ、オレも早川さんも、間男なんですか」
「……そうなるわね」
「――なら、こっそり会わないとですね」
「え」
 思わぬ言葉にギョッとすると、彼はクスリと笑う。

「あなたが向き合ってる時間、オレが大人しく待ってると思いますか?」

「――……っ……!!」

 そして、そう言って、また、あたしに口づけたのだった。
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