Runaway Love
 その翌日、久し振りの本社への道を歩き出す。
 幾分心臓の音が速い気がするけれど、あたしは、胸を張る。
 恥ずべき事など、無い。
 そう、自分に言い聞かせる。

 ――じゃなければ、何のために、あたしはこれまでやってきたのだ。

 正門を通り、正面玄関を入って行く道すがら、ずっと視線を感じるが、下は向かない。

「あっれぇー?杉崎主任、お久し振りですぅー!」

 そのままエレベーターホールで待っていると、不意に声がかかった。
 あたしは、そちらを見やり、かすかに眉を寄せるがすぐに戻す。
 篠塚さんが、上機嫌にあたしの隣までやって来たので、
「――お久し振りです」
 そう告げると、正面を向き、エレベーターの到着を待った。
 周囲は、何かを感じ取ったのか、遠巻きにしている。
「今日は、どうされたんですかぁ?工場に飛ばされたんじゃなかったんですかぁ?」
「――出向です、社長命令(・・・・)で。――まあ、内々(ないない)でしたので、ご存じなくても当然でしょうけど」
 あたしは、それだけ言うと、彼女を見上げる。
 相変わらずの作られた美貌は、少しだけ歪んでいるように見えた。
「――へ、へえぇ……。藍香、てっきり、この前の騒ぎの責任問題かと思っちゃいましたぁ!」
「きちんと、減俸という責任は取りましたが」
「ふぅん……結構軽いんですねぇ。ああ、もしかして、ひいき(・・・)されちゃってるんです?」
 必要以上に静かなホールに、エレベーターの到着音が鳴り響いた。
 勝手に開いていく扉を見やり、あたしは歩を進めようとしたが、すぐさま止められた。
「あ、やだ、杉崎主任、もしかして社長にまで?」
 反射的に振り上げようとした手は、しかし、すんでのところで、しっかりと掴まれた。
 そちらを振り返れば、野口くんが、額に汗を浮かべて、あたしを見下ろしていた。
「――野口くん」
「す、杉崎主任、大野代理が呼んでますからっ……!」
「あ、野口さん、おはようございますぅー!」
 現れた彼を見ると、篠塚さんは目の色を変えた。
 すぐに、そばに近づくと、彼の腕にそっと触れる。
「ねえ、野口さん。杉崎主任、今、殴ろうとしませんでしたぁ?藍香、怖いなぁー」
 すると、野口くんは、その手を振りほどいて言った。

「――オレに触って良いのは、茉奈さんだけですから」

 そう、キッパリと言い切り、彼はあたしの手首を掴んだまま、階段を上る。
 その強い力に引きずられるように、あたしも上り始めたが、何せ、体力の差はある。
 次第に足が上がらなくなり、三階の途中であたしは止まった。
「あ、茉奈さん、すみません!」
 野口くんは、ようやく気づいたのか、階段を下り、あたしの隣に来る。
「……だ……だからねっ……!……アラサー女の体力……舐めないでもらえるかなっ……!」
「すみません」
 眉を下げる彼を、あたしは苦笑いで見上げた。
「――……でも……止めてくれて……ありがとう……。……あのままだったら……今度こそ、殴ってたわ……」
「茉奈さん、目が本気でしたから、あせりましたよ」
 困ったように笑い合う。
「……でも、大丈夫?」
「え?」
「……その……あんな事、言って……」
「……え?」
 すると、野口くんは、キョトンとする。

 ――……まさか、無意識……?!

「野口くんっ……ちょっとは、自覚してっ!!」

「す、すみません……」

 あたしの剣幕に、彼は目を丸くしながらも、謝ったのだった。
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