Runaway Love
 息切れしながら、五階にたどり着くと、あたしは大きく息を吐いた。
 久し振りの景色に、胸は締め付けられるようにきしむ。
「……大丈夫ですか?」
「――……ええ、まあ……」
 心配そうに見てくる野口くんにうなづくと、あたしは歩き出す。
 そして、すぐに見えた経理部のドアを開けた。

「――おはようございます」

「杉崎主任ー!!」
 挨拶をした途端、外山さんがあたしに飛びついて来た。
「外山さん」
「お帰りなさいー!」
 その言葉に、あたしは申し訳無くなる。
「ごめんなさい、まだ、帰れないの。……今日は、社長に呼ばれて来ただけだから」
「……ええー……」
 あからさまに、がっかりした表情(カオ)を見せた外山さんを引きはがし、あたしはデスクから顔を出した大野さんのところに行った。
「おはようございます」
「おう、久し振り」
「――これから、社長室に向かいます」
「……ああ、こっちの事は気にするな」
 あたしは、その言葉にうなづく。
「まあ、良い答えを待ってるけどな」
 大野さんは、そう言って、苦笑いで手をひらひらと振った。
「杉崎主任、辞めないですよね……?」
 眉を下げて出て行くあたしを見送る外山さんは、願うように、そう言った。
「――……戻ったら、ね……」
 これからどうなるかわからない以上、適当な事は言えない。
 あたしは、部屋を後にし、エレベーターのボタンを押す。
「茉奈さん」
「――会社よ、野口くん」
 いつぞやのセリフ。
 けれど、今回は引かなかった。
「構いません。……今は、仕事中じゃないですから」
 彼は、そう言って、あたしの手を握る。
 少しだけひんやりした手。
 指を絡めてくると、彼は続けた。

「――……辞めないで、ください……」

 あたしは、野口くんを見上げると、微笑む。

 ――必要とされているのが、うれしい。

 それは、素直な思いだ。

「……ありがとう」

 あたしは、そう言うと、到着したエレベーターに、一人乗り込んだ。


 次にエレベーターが開くと、無意識に身体が強張る。
 やはり、いつ来ても慣れない。
 あたしは、社長室の扉をノックすると、また、住吉さんが開けてくれた。
「おはようございます。そちらへどうぞ」
 そう言って、目の前のソファに視線を向ける。
 あたしは、うなづくとまず、窓の外を見下ろしていた社長に向かって挨拶をした。
「おはようございます、社長」
 すると、社長はにこやかに振り返る。
「ああ、おはよう、杉崎さん。さ、座って、座って」
 急かすようにそう言われ、あたしは素直に従う。
 腰を下ろすと、社長は上座に座った。
 そして、あたしをのぞき込むように見やると、すぐに本題に入る。

「――で、決まったかな?」

 主語は無い。けれど、あたしは、うなづいた。

「――……南工場の後任が決まるまでは、そちらで勤務を続けさせていただけますでしょうか」

 社長は、ジッとあたしを見ると、ニッコリとうなづいた。

「もちろんだよ。こちらとしても、そうしてくれると助かるしね」

 あたしは、無意識に息を吐く。
 もう、次が決まっていると言われたら、どうしようかと思った。

「けどね、そう長々と向こうにいられるのも、こちらは痛手だから。折を見て帰って来てもらうからね」

「え」

 ――それは……本社(こっち)に戻れ、という事……?

 目を丸くしているあたしに、社長は続けた。
「近いうちに発表するけど、ちょっと大きく異動とかがあるんだよね。で、キミも対象だから」
「――……え」
「良かったよ、ホント。これで辞めるって言われたら、また、計画練り直さないとならないからさ」
「え……?」
「社長、その辺で」
 住吉さんが、クギを刺すように、社長に言う。
 まるで、秘密を漏らすな、と、いうような雰囲気に、あたしは思わずたじろいでしまった。
「ごめん、ごめん。まあ、そういう訳だからさ、ひとまず辞令が下りるまでは、頑張って」
「――……ハ、ハイ……」
 狐につままれたような顔になってしまったが、仕方ないだろう。
 自分に縁の無い、異動だの何だのと言われても、実感が湧かない。
 しかも、まだ発表されていないのだ。
 あたしは、放心状態になりながも、社長室を後にした。
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