Runaway Love
55
それから、バスに乗り、南工場についたのは、十一時前だった。
「おう、お疲れさん!」
「遅くなりました」
事務所に入るなり、工場長がやってきて、あたしに書類の束を手渡す。
「来て早々悪いんだが、この束、捌いてくれねぇかなぁ。やっぱり、勝手がわからん人間がやると、二度手間になるからよ」
工場長は、バツの悪そうな表情で、片手で拝むようなポーズをとる。
あたしは、苦笑いでうなづいた。
「机に置いておいてください」
「ありがとさん、頼りにしてるぞ」
工場長は、そう言って、現場に向かった。
それを見送ると、あたしは、大きく息を吐く。
――今の、あたしの仕事は、コレだ。
社長が何を考えていても関係無い。
あたしは、自分の仕事をするだけだ。
既に立ち上がっているパソコンのファイルを開き、書類を分ける。
その間に、かかって来る電話をつなぎ、納品をチェック。
途中に来る依頼は、メモしながら、捌いていく。
柴田さんは、こんな風に何十年もやっていたのだ。
――……あたしも、彼女みたいに、勤めあげたい。
退職する時は――惜しまれて去りたい。
そんな理想を、ほんの少しだけ、思い浮かべてみた。
本社に行っていた時間の分を押してしまい、終了は六時半を過ぎていた。
けれど、お盆前を考えたら、まだ良いと思ってしまう。
「杉崎さん、お疲れ様ですー!」
「お疲れ様、気をつけてね」
帰りがけ、ロッカールームに向かう途中、若い娘達とすれ違い、挨拶を交わす。
笑顔の彼女達に、あたしもつられて笑顔になる。
それは、本社では考えられなかった事。
そして、帰り支度を終え、建物を出ると、門のところに影を見つけ、ドキリと、心臓が鳴った。
振り返った影は、あたしを見つけると、キレイな顔で微笑む。
「――お疲れ様です」
「……お疲れ様」
野口くんは、あたしを車に乗せると、すぐに出した。
「え、あれ?……定時に終わった……?」
時間を考えると、不自然に思え尋ねると、彼はあっさりと言った。
「ああ、三十分、時間調整してもらいました。お盆前、結構残業あったんで」
「……野口くん」
「正当な権利でしょう?」
「……それはそうだけど……」
確かに、ひと月の間でなら、早出残業分の時間は調整できる。
残業時間の短縮は、人事の永遠のテーマだし。
社長自ら、時間差で出社するなどして推進されているのだから、やって悪いという事は無い。
――けれど、今、野口くんが、それをするというのは、完全にあたしの為だと思われるではないか。
「ちゃんと、やるべき事は、やってますから」
眉を寄せるあたしに、彼は、楽しそうに言った。
「――……もう禁止にするからね」
「じゃあ、有給なら文句無いですか?」
「理由はどうするのよ」
「どうとでも」
何だか言い負かされそうな気がしたので、あたしは口を閉じる。
「――すみません、気を悪くしましたか」
「え」
すると、野口くんは、少し沈んだ声音で尋ねるので、慌てて顔を上げる。
「ち、違うわよ。……ただ……あたしの為、とか……申し訳無いからさ……」
視線をそらしたくなるが、彼は、ハンドルを握ったまま、うなづいた。
「わかりました。茉奈さんが嫌がるなら、もう、やりません」
「――……あ、ありがとう……」
あたしは、胸を撫で下ろす。
ひとまず、マズい方向には向かっていないようだ。
そう思いながら、窓の外に視線を向けると、見覚えのある景色。
――え。
あたしは、野口くんを見やる。
「……ど、どこに、行くの……?」
すると、彼は、あっさりと答えた。
「”けやき”ですが?」
瞬間、全身が硬直してしまった。
「おう、お疲れさん!」
「遅くなりました」
事務所に入るなり、工場長がやってきて、あたしに書類の束を手渡す。
「来て早々悪いんだが、この束、捌いてくれねぇかなぁ。やっぱり、勝手がわからん人間がやると、二度手間になるからよ」
工場長は、バツの悪そうな表情で、片手で拝むようなポーズをとる。
あたしは、苦笑いでうなづいた。
「机に置いておいてください」
「ありがとさん、頼りにしてるぞ」
工場長は、そう言って、現場に向かった。
それを見送ると、あたしは、大きく息を吐く。
――今の、あたしの仕事は、コレだ。
社長が何を考えていても関係無い。
あたしは、自分の仕事をするだけだ。
既に立ち上がっているパソコンのファイルを開き、書類を分ける。
その間に、かかって来る電話をつなぎ、納品をチェック。
途中に来る依頼は、メモしながら、捌いていく。
柴田さんは、こんな風に何十年もやっていたのだ。
――……あたしも、彼女みたいに、勤めあげたい。
退職する時は――惜しまれて去りたい。
そんな理想を、ほんの少しだけ、思い浮かべてみた。
本社に行っていた時間の分を押してしまい、終了は六時半を過ぎていた。
けれど、お盆前を考えたら、まだ良いと思ってしまう。
「杉崎さん、お疲れ様ですー!」
「お疲れ様、気をつけてね」
帰りがけ、ロッカールームに向かう途中、若い娘達とすれ違い、挨拶を交わす。
笑顔の彼女達に、あたしもつられて笑顔になる。
それは、本社では考えられなかった事。
そして、帰り支度を終え、建物を出ると、門のところに影を見つけ、ドキリと、心臓が鳴った。
振り返った影は、あたしを見つけると、キレイな顔で微笑む。
「――お疲れ様です」
「……お疲れ様」
野口くんは、あたしを車に乗せると、すぐに出した。
「え、あれ?……定時に終わった……?」
時間を考えると、不自然に思え尋ねると、彼はあっさりと言った。
「ああ、三十分、時間調整してもらいました。お盆前、結構残業あったんで」
「……野口くん」
「正当な権利でしょう?」
「……それはそうだけど……」
確かに、ひと月の間でなら、早出残業分の時間は調整できる。
残業時間の短縮は、人事の永遠のテーマだし。
社長自ら、時間差で出社するなどして推進されているのだから、やって悪いという事は無い。
――けれど、今、野口くんが、それをするというのは、完全にあたしの為だと思われるではないか。
「ちゃんと、やるべき事は、やってますから」
眉を寄せるあたしに、彼は、楽しそうに言った。
「――……もう禁止にするからね」
「じゃあ、有給なら文句無いですか?」
「理由はどうするのよ」
「どうとでも」
何だか言い負かされそうな気がしたので、あたしは口を閉じる。
「――すみません、気を悪くしましたか」
「え」
すると、野口くんは、少し沈んだ声音で尋ねるので、慌てて顔を上げる。
「ち、違うわよ。……ただ……あたしの為、とか……申し訳無いからさ……」
視線をそらしたくなるが、彼は、ハンドルを握ったまま、うなづいた。
「わかりました。茉奈さんが嫌がるなら、もう、やりません」
「――……あ、ありがとう……」
あたしは、胸を撫で下ろす。
ひとまず、マズい方向には向かっていないようだ。
そう思いながら、窓の外に視線を向けると、見覚えのある景色。
――え。
あたしは、野口くんを見やる。
「……ど、どこに、行くの……?」
すると、彼は、あっさりと答えた。
「”けやき”ですが?」
瞬間、全身が硬直してしまった。