Runaway Love

56

 ようやく土曜日、まともな休みになり、あたしは、ひと通り掃除や大物の洗濯などを終えると、図書館の本を取り出した。
 来週には返さなければいけないけれど、たぶん、今日明日を逃すと、読んでる時間は無いに違いない。
 一冊は、芦屋先生の昔の長編。
 時間が取れなくて、今まで保留にしていたものだ。
 単発で、意外とハードボイルド系の内容。
 こういう引き出しの多さも、この人の魅力だろう。
 推理を絡めてはいるけれど、人間模様と、社会のダークな部分が話のメイン。分厚さは作品中トップだ。
 その重みは、けれど、幸せな重み。
 あたしは、一旦、お昼過ぎまで読みふける。自分のお腹の音で、ようやく時間に気がつく程だ。
 続きが気になり、そわそわしながら簡単に済ませると、すぐに戻る。
 こういう時は、自炊なんてしないで、野口くんみたいに携帯食で済ませてしまいたいと思ってしまう。
 ――まあ、しないけれど。
 結局、終わったのは夜七時を過ぎたところだった。

 ――……やっぱり、面白かった。

 あたしは、ほう、と、息を吐く。
 まったく縁の無い世界でも入り込めるような文体や、緻密な描写で、小さい文字の二段組でも、ページをめくる手は止まらないのだ。
 すると、テーブルに置いていたスマホのランプが光っているのに気づき、あたしは手に取る。

「――あ」

 昨日の今日で、また、岡くんから電話があった。
 本を読む時は邪魔されたくないので、マナーモードにしているのだ。
 あたしは、続いて来ていたメッセージを確認する。

 ――明日、会えませんか?

 何でよ、と、思わず、心の中でボヤく。
 けれど、彼が言った事を思い出し、無意識に心臓の音は速くなる。

 ――……本当に、大人しく待っていてくれないのね、アンタは……。

 苦笑いしながら、あたしは、彼の電話番号を押した。
 折り返さないと、早川と違って、こちらが出るまでかけて続けてきそうな気がするので、先手を打つ事にしよう。
 そう思ったのに、ワンコールもしないうちに通話状態になって、一瞬、言葉が出なかった。

『――茉奈さん?』

「え、あっ……な、何……?」

 ――いや、かけたの、あたしの方だし。

 自分で突っ込みかけたが、元はと言えば、岡くんが先にかけてきているのだ。
 すると、耳元で、クスクスと笑い声が聞こえた。
「……ちょっと、何笑ってんのよ」
『いえ。……また、挙動不審になってるのかと思って』
 あたしは、からかうようなその言葉に眉を寄せた。
 悪かったわね、挙動不審で。
「――切るわよ」
『あっ、すみません!切らないでくださいってば!』
 慌てる彼の姿が簡単に目に浮かび、あたしは口元を上げる。
「……で、明日、何かあるの」
『あ、いえ、あの……ただ、会いたいって思っただけで……』
「じゃあ、無理。……言ったじゃない。……考えたいって……」
 少しの間。そして、岡くんは、口を開く。
『――でも、オレも、ただ待ってる訳じゃないって、言いましたよね』
「屁理屈言わない。それに、借りてきた図書館の本、読み終えないとなのよ」
『すぐに終わります?』
「無理。あと二冊。結構厚いのよ」
 あたしは、後ろのサイドボードに置きっぱなしだった本を見やる。
 今の芦屋先生ほどではないが、まあまあの厚み。
 そして、字数もかなり多く、一冊は今の本のような二段組なのだ。たぶん、一日費やす。
『……じゃあ、オレが部屋に行っても良いですか?』
「あたし、まだ偽装してるって言ったわよね」
『そうですけど……あ、逆に、オレの部屋来ますか?』
 開き直ったような提案に、苦笑いだ。
「何で、本読むのに、アンタの部屋行かなきゃいけないのよ」
『オレがそばにいたいからです』
 あっさりと返され、言葉に詰まる。
『それに、ご飯作りますよ?』
「え」
『茉奈さんは、本読むだけでいられます。何なら、コーヒーも淹れますよ?』
「――……何よ、その至れり尽くせりは……」
『つられてくれますか?』
 魅力的過ぎる提案に、あたしの心は傾いていく。

「……接触禁止で良いなら、行くわ」

『……条件厳しいですね……』

 けれど、彼はそれでうなづいてくれた。
< 247 / 382 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop