Runaway Love
 翌朝、鏡を見れば、目が腫れぼったい。
 結局、電話の後、急いで残っていた本に手を付け始めたが、内容が思った以上に泣けてしまい、その上、そのまま寝落ちしてしまったので、大変な状況になっている。
「……ああ、コレ、冷やしても無理そう……」
 出勤時間ギリギリまで冷感ジェルで冷やし、メイクを少し濃くしてみる。
 カバーできる限界までやってみたが、やっぱり、泣いた後というのは、丸わかりだろう。
 ……果たして、コレでごまかせるのだろうか。
 自分のメイク技術の未熟さが、こんなところで仇になるとは。
 あたしは、ため息を吐きながらアパートを出た。


「おはようございま……」

 工場に到着し、ロッカーに荷物を置いて、靴を履き替える。
 そして、挨拶をしながら事務所に入ってすぐに、固まってしまった。

「――おはようございます、杉崎主任」

「……す、住吉、さん?」

 目の前に、この場にそぐわない空気をまとった彼は、あたしを見て眉を寄せた。
 工場長は、まだ来ておらず、彼一人だ。
 何だか、ここだけ、本社のような錯覚を起こしてしまいそう。
「……どうかされたんですか」
 不意打ちのように尋ねられ、あたしは、目を丸くする。
「え?」
「気のせいでしょうか。以前(まえ)よりも、メイクが濃い気がしますが」
「あ、ああ、すみません。……恥ずかしながら、昨日、本を読んで泣いてしまって……今朝、思った以上に腫れていたので、苦肉の策でした……」
 すると、彼は更に眉を寄せた。
 その視線に、おもわずたじろぐ。
 やはり、社長秘書という肩書には、いろいろと圧がついて回るのか。
「本当ですね?」
「ほ、本当ですよ!何なら、タイトル教えましょうか⁉」
「――わかりました。これ以上はプライバシーの侵害になりますか」
 あたしは、胸を撫で下ろすと、本題に戻る。
「……それで……ここに、何か御用で……?」
 住吉さんは、もっていたビジネスバッグから、封筒を取り出し、あたしに手渡す。

「――辞令です。九月一日より、一か月、大阪支社の教育係として、社員の指導にあたってください。そして、大阪支社のスタートとともに、部長代理に昇進になります」

「……は……?……え……??」

 ポカンとしているあたしに、さらに、彼は続けた。

「井本部長が、電算開発との連携で、部を跨ぐ仕事に就かれます。経理部は、大野部長代理が部長に、杉崎主任が、部長代理。――野口さんが主任に、それぞれ昇進です」

「――……え……???」

 あたしの頭の中は、完全にフリーズを起こした。


 住吉さんは、それだけ伝えに来たとの事で、すぐに本社に戻って行った。
 それを見送りながら、しばし、放心状態。

 ――……九月から……大阪……??

 ――……あたしが……部長代理……????

「おはようさん、杉崎さん……って、おいおい、大丈夫か?」
「え、あ、ハイ?」
 声のする方を見やれば、事務所に入って来た工場長が、あたしを見て目を丸くしている。
「意識はあるかい?具合悪いのか?」
「あ、いえ、大丈夫です!すみません」
 心配そうに尋ねられ、あたしは我に返る。
 とにかく、今は、ここの仕事を全うしなければ。
 すると、工場長は、ニコニコしながら言った。
「そうそう、朝イチで人事から連絡あってな。ようやく、求人応募があったみたいなんだわ」
「え?」

「新しい事務員さんだよ。今日の午後、オレの方で面接だが、もう採用の方向でいるからな」

「――え」

 あたしの頭は、更に、フリーズ。

 ……じ、じゃあ……あたしは……。

「杉崎さんには、短い間だが、かなり世話になったな。感謝してもしきれんわ」

 笑いながら言う工場長を、あたしは、放心状態で見つめていた。
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