Runaway Love
 翌日、出社して事務室に入ると、見慣れない女性が立っていた。
 少し高めの身長、肩までの黒髪はハーフアップ。就活用とも思える、黒いスーツを着ている。
 あたしは、一瞬、戸惑うが、すぐに工場長が後ろから入って来て、声をかけてきた。
「おはようさん、杉崎さん!こちら、昨日言ってた、新しい事務の方」
 すると、彼女はあたしを見やり、少々おどおどしながら頭を下げた。
「は、初めまして……小川(おがわ)と申します」
 フレームレスの眼鏡をかけた彼女を見やり、あたしも頭を下げる。
「初めまして。杉崎です」
 だが、視線が合うと、すぐにそらされた。

 ――……え?

「じゃあ、杉崎さん、よろしく頼むわ!」
「え、あ、あの」
「引き継ぎ、三十日までなんだから、時間無いだろう?」
「そ、それはそうですが……」
「あと、異動のメール来てたから、印刷して貼っておいたからな!」
「――え」
 心臓がドキリと鳴る。
 昨日の今日で、もう、発表するのか。
 それだけ、急な話だったという事なのだろうか。
 けれど、大阪支社の構想は既にあったのだろうから、あたしへの辞令が遅かっただけなのか。
「いや、すごいな、杉崎さん!大阪行っても、頑張ってくれな!」
「――あ、ハ、ハイ……」
 工場長は、上機嫌に部屋を出て行った。
 残されたあたしは、少々パニックになりかけたが、仕事を放ったらかしにする訳にはいかない。
 隣で、緊張のせいか、固まっている小川さんを見上げた。
「――じゃあ、時間が無いので、最初から説明しますね」
 あたしは、できるだけ柔らかい口調で話す。
「あ、ハ、ハイ……。……お願い、します」
 ぎこちなくうなづくと、すぐにうつむき、視線を下げる。
 まるで、目を合わせるのが嫌だというように。
 だが、その態度に嫌悪感ではなく、既視感を覚える。

 ――……もしかして、この女性(ひと)……。

 あたしは、恐る恐る、尋ねてみる。
「あ、あの……違ってたら、すみません。……人と接するの、苦手な(ほう)、ですか……?」
 すると、一瞬、彼女は顔を上げ、すぐにうつむいた。
「……す、すみませんっ……。……元々……人見知り……で……仕事辞めてから……ずっと、専業主婦で……。他人と接する機会が、あまり無い……というか……避け続けてて……」
 下を向きながら、ボソボソと話す彼女は――まるで、以前の野口くんを見ているようだ。
 あたしは、言葉に気をつけながら、言った。
「そうだったんですか。……でも、そんなに、心配しなくても大丈夫ですよ」
「え」
「ここの人達、本当に良い人達ばかりなんで――ちゃんと仕事してれば、認めてくれますし、人見知りも、個性として受け入れてもらえると思いますよ」
 彼女は、まだ、不安そうにあたしを見やるが、笑顔を向ければ、少々ぎこちなく笑ってくれた。
「……あ、ありがとうございます……。何とか、頑張ります……」
「じゃあ、ひとまず、工場内の説明からしましょうか」
 あたしは、そう言って、彼女を案内する。
 その間にすれ違う人達に、異動の件で声をかけられたので、苦笑いで挨拶を交わした。
 そして、次に小川さんを紹介すると、会う人会う人、歓迎の言葉を口にした。
「――ね、大丈夫でしょう?」
「……ハイ」
 少々、安心したように、彼女は、うなづいた。
 あたしも、柴田さんがしてくれたように、彼女を早く慣れさせてあげないと。
 久々に指導する側に回り、あたしは、少しだけ気合いを入れた。
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