Runaway Love
「――もしもし、駆くん?」
『あ、茉奈さん、今、どこですか?』
「さっき、バス降りたところ。新しい人が来たから、教えてて。自分の仕事が押してたのよ」
 すると、急に彼は無言になる。
「駆くん……?」
『もっと、早く言ってください。迎えに行ったのに』
「でも――」
 不機嫌そうな声に、あたしは、口をつぐむ。
 それは、何だか、利用しているようで嫌なのだ。
『茉奈さん』
「え?」
『――もっと、自分の事を大事に考えてください』
「そ、そう言われても……」
 あたしが口ごもると、野口くんは、少しだけ強い口調で続けた。

『あなたの代わりは、いないんですよ。もしも、あなたに何かあったら――オレ、一生後悔しますよ』

 スマホを持っていた手が、震えた。
 ――その言葉は、一瞬で涙腺を刺激する。
 だって、嘘偽りないものだと、もう、わかっているから。
「……ごめんなさい」
 涙をこらえながら、あたしは謝る。
『……いえ……じゃあ、明日は迎えに行きますから』
「え、で、でも……」
 戸惑うあたしに、念を押すように、野口くんは続けた。
『一応、まだ、偽装中ですよ。――それに、オレに、篠塚さんから逃げる理由をください』
「……彼女、まだあきらめていないの……?」
『ええ。……どうやら、九月からの契約、切られたみたいで……結構、なりふり構わない感じになってきてるんで……』
 あたしは、思わずげんなりしてしまう。
 それだけの熱量、どうして、他の事に向けられないんだろう。
 大体、野口くんは、嫌がっているのに。
 すると、彼は電話の向こうで苦笑いしているようだ。
『――たぶん、茉奈さんに対する、意地みたいなものもあるんじゃないんでしょうか。……でなければ、オレにこだわる理由がありませんから』
「そ、それは……わからないわよ」
 あたしに、あからさまな敵意を向ける彼女の真意など、考えもつかない。
 ――考えたくもない。
 話しているうちに、視界にアパートが入ってきたので、あたしは、彼に言う。
「駆くん、もう、部屋に着くから」
『――そうですか。無事に着いたなら、良いです。それじゃあ、また、明日』
「……ええ。……おやすみなさい」
『はい。――茉奈さん、早く、会いたいです』
 野口くんは、そう、少しだけ甘えたような声音で言うと、おやすみなさい、と、電話を終えた。
 それだけで、胸がきしむ。
 いつまでも彼を縛ってはいけないと思うけれど――真剣に向き合わない答えに、納得はできるはずもない。

 ――……ごめんなさい。

 あたしは、浮かんできた涙を軽く指でこすり、部屋の鍵を開けた。
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