Runaway Love
 しばらく歩き、ようやく、腕を離される。
 目の前は、駅だった。
「ふ、古川主任」
「――あなた、会社の前で、一体何をしているんですか。痴話喧嘩なら余所でやってください」
 ため息交じりに言われ、あたしは思わずカッとなる。
「違います!――あの人は……星野商店さんの営業さんです」
「――星野さん?」
 こちらでも取引はあるのだ。聞き覚えのある名前に、古川主任はあたしを見た。
「――その割には、親しそうでしたが」
「……こ、高校の時の先輩でした……」
「それ以上には」
「ありません」
「では、向こうが一方的にという事ですか」
 あたしは思い切り首を振る。

 思わずうつむいてしまうのは――棘が刺さったままの胸が、うずき始めたからだ。

「……違います。……彼は、誰とでも距離が近いので……」
 あたしは、それだけ言って、マンションへと向かおうとするが、それは古川主任の、思った以上に大きい手で止められた。
 左手首を掴まれ振り返る。
「……古川主任?」
「……バカですか、あなた。今戻ったら、彼、待ち伏せてるんじゃないですか」
「でも」
「ひとまず、電車で時間を稼ぎましょう。――私も付き合いますので」
 あたしは目を丸くして、彼を見た。
 少々バツが悪そうに、あたしを見返す彼には、仕事の時の神経質な雰囲気は鳴りを潜めている。
「……この時間です。もしくは、早川主任に迎えに来てもらいますか」
「……早川は関係無いです」
 今日は出張帰りで、遅くなる予定だったはずだ。
 ――それに、むしろ、会わせてはいけない。
 万が一、先輩と会ったら……今度こそ、アイツが何をしでかすかわからない。
「――ありがとうございます。……一人で大丈夫ですので」
「杉崎主任」
 頭を下げ、踵を返そうとしたが、手首を引かれて止められた。
「あなた、向こうでも、そうだったんですかね」
「……は?」
 古川主任は、ため息をつくと、あたしを見やった。
 思った以上に真っ直ぐな視線は、誰かと重なりそうで、視線を落とす。
「……トラブルになった時に、誰にも頼らず、自分で解決しようとする人間。プライベートでも同じですか」
「……っ……」
 何で、わかるの。
 そう思ったのが、顔に出ていたのか――古川主任は、自嘲気味に言った。
「言ったでしょう。――私と同じだと」
 そんな部分まで似ているのは不本意だけど、視線を上げて彼の表情を見れば、たぶん、そうなのだろう。
 まるで、自分を見ているような、気まずさとイラ立ち。
 わからないでもない。
 けれど、素直に認めたくはなかった。

「ご忠告ありがとうございます。ご心配なく。会社には、これ以上、迷惑をかけるつもりはありませんので」

 あたしは、古川主任の手を力任せに振りほどき、再びマンションの方まで歩き出す。

 ――彼が追って来る事は、無かった。
 
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