Runaway Love
 その日も、新人二人は古川主任に振られた仕事を、一生懸命こなそうと頑張っていた。
 それを横目に、あたしはパソコンとにらみ合う。
 古川主任に渡した経理関係のマニュアルは、改めて見直せば、アラがところどころ見える。
 それに、工場事務の方は、あたしの経験したものだけしか載せられていない。
 ――柴田さんのマニュアル、共有できないかしら。
 あたしは、ふと、そう考え、南工場に電話をかける。
 三コールで、ついこの前まで一緒に仕事をしていた、小川さんの声が受話器の向こうから聞こえた。
『お電話ありがとうございます。オオムラ食品工業南工場、小川でございます』
 少しだけ緊張気味。でも、やわらかい声に、あたしは、頑張ってるんだな、と、安心できた。
「お疲れ様です、経理部杉崎です」
『え』
 名乗れば、一瞬戸惑う声。
 だが、すぐに、それは明るい声に置き換わった。
『杉崎さん、お久しぶりです。この前は、ありがとうございました』
「いえ、大した事はしてませんから」
 あたしはそう言って、本題に入る。
「小川さん、柴田さんの連絡先って、まだ従業員リストに残ってますか?」
 できれば、彼女が作ったマニュアルのデータを、共有したい。そのために、データが残っているか、知りたいと告げる。
『――ああ、すみません。……今、確認しましたが、新しいものに変わっていました』
「……そっか、残念」
『あっ、まっ……待ってっ、ください……!』
 あたしは、あきらめて電話を切ろうとすると、急に止められた。
「小川さん?」
『あ、あの……永山さんとか……個人的に交流のある人なら……携帯知ってるかもしれないのでっ……』
 友人と呼べる人間がいないあたしにとっては、その意見は、目からうろこだった。
「――そうですね。ちょっと聞いてもらっても良いでしょうか」
『は、はい!すぐに確認します』
 あたしは、素直に言葉に甘え、折り返しの連絡を待つ。
 三十分ほどで小川さんから、柴田さんの携帯番号が伝えられた。
 藤沢さんの方が、すぐに連絡が取れるいう事だったので、本人に確認してもらったそうだ。
『いつでも大丈夫と、柴田さんからの伝言です』
「ありがとうございます。助かりました」
『い、いえ。良かったです』
 あまり長電話する訳にもいかないので、小川さんの近況は聞かない事にする。
 あたしが心配するまでもないようだし。
 手元のメモを見て、再び受話器を持つ。
 携帯番号を押し、少々鳴り始める心臓を押さえた。
 ――あたしだって、慣れている訳ではない。
 すると、二コールで、ほんの少し懐かしい声が聞こえた。
『もしもし、柴田です』
「あ、お、お久しぶりです。オオムラ食品工業、経理部杉崎です』
『ハイハイ、お久しぶり、聞いてますよぉ。マニュアルのデータでしょう。私が作ったもので良かったら、送りますけど……』
 そこで、柴田さんは、一旦言葉を切る。
 もしかして、不都合があるのだろうか。
 一瞬あせったが、理由はまた別のようだった。
『いえね、データで送ると言っても、結構な量なのよぉ。USBに入れてるんだけど――それ持って行くって言っても、杉崎さん、今大阪なんでしょう?私、そう遠出もできないからねぇ……』
「そう、ですか……。どうし……」
 瞬間、浮かんできた考えに戸惑うが、あたしはかすかに首を振る。

 ――コレは、仕事だから。

「あの、柴田さん、ウチの本社の方は行けますか?」
『え?ああ、それくらいなら』
「じゃあ、経理部の野口に伝言しておきますので、USBの状態で渡してもらえますか。話は通しておきますので」
 ――こういう場合、彼なら、頼れると思う。
 私情は挟むな。
 胸の痛みを抑えながら、あたしは柴田さんとの電話を終える。
 そして、すぐに本社の経理部直通番号を押した。
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