Runaway Love
 身体を起こした先輩は、仕方なしにシャツを羽織り、ドアスコープをのぞく。
「――あれ?ホテルの人だ」
 そう言って、ドアを開ける。
「申し訳ありません、お客様、少々確認したい事がございまして……」
 年配のスタッフの男性は、チラリとあたしを見やる。
 あたしは、その瞬間を逃さなかった。
 急いでカバンを持ち、服を簡単に直すと、ホテルスタッフと先輩の脇をすり抜けて全速力で走った。
 エレベーターが到着するのも待ち切れず、ボタンを押したまま階段で駆け下りる。
 そして、途中、足が止まりそうになるのをどうにか動かし、吐きそうな程に息が上がった頃、ホテルのロビーにたどり着いた。

「茉奈!」

「――え」

 すると、ロビーの受付から名前が呼ばれ、顔を向けると、早川があせったようにあたしの元に駆け寄って来る。
「え、な、何で」
「いいから――帰るぞ」
 受付の人に何かを言って、早川は、息を整えているあたしを抱えるようにして自動ドアをくぐった。
 あたしは、顔を上げて尋ねる。
「ねえっ、早……川……!ア……ンタ、ホテルの人にっ……何、か、言ったのっ?」
 息切れが辛いが、我慢だ。
 そもそも、何でここがわかったのだ。
「……彼女(・・)が、ここに泊まってるヤツに無理矢理連れて行かれたって言った。ホテルだって、警察案件は避けたいだろ」
「バッ……!アンタ、何、バカ正直に……っ……」
 あたしは、慌てて早川を見上げた。
 大体、彼女じゃないだろう。
「――星野商店の名前出したら、すぐにわかったぞ。……アイツ、前も、何回か女連れ込んでたらしい」
「……え」
 早川は、怒りをこらえるように、あたしの肩を抱く手に力を込めた。
 そして、ホテルの前に待たせていたタクシーに、あたしを押し込むと、早川はマンションの住所を運転手に告げ、そのままドアが閉まる。
「え」
 あたしは、てっきり早川も乗るものだと思っていたので、驚いて車の窓を開けた。
「早川?」
「――先帰ってろ。……話、つけてくる」
「え、ちょっ……」
 思わぬ言葉に動揺するあたしを横目に、早川は運転手に出してください、と、告げた。
「早川!」
 あたしの声も、ホテルに戻る早川には届かず。
 そのまま、静か過ぎるタクシーに乗り、十五分ほどしてマンション前に到着した。
「お代は先にいただいておりますので」
「え」
 そう言われ、あたしはカバンを持つと車を降りる。
 去って行くタクシーを、ぼう然と見送ると、ようやく我に返った。

 ――ど、どういう事?
 早川……何するつもり……?

「無事なようでしたね」

 すると、不意に後ろから声がかけられ、あたしは振り返る。
「古川主任……?」
 何で。
 それが顔に出ていたのか、彼は、吐き捨てるように言った。
「――どうして、あんな犯罪者、野放しにしてるんですか、あなたは」
「ど……どういう……」
 結構な言いように、あたしは戸惑う。
 そこに、深い怒りを感じたのは、気のせいではないと思う。
「同意では無いのでしょう。ならば、拉致です。――あの人には、常識というものが無いんですか」
「……古川主任……」
 彼は、あたしの前に来ると、真っ直ぐに見下ろす。
「あなたが彼に連れ去られるのを、ちょうど、早川主任と目撃しました。主任も彼の顔に見覚えがあるようで――星野商店の方に問い合わせてホテルを特定したんです」
「――……どうして……」
「――あなた、自分が大事に想われている自覚は無いんですか」
 古川主任は、苦々しく言う。
「あんなに取り乱した早川主任は、初めて見ました」
 ――……早川が……。
「即座にホテルに向かうと、走って行かれました。私も、何かあるといけないので、こちらで待機していた次第です」
「……申し訳ありません」
「あなたは被害者でしょう。何で謝るんですか」
「え」
 あたしは、下げようとした頭を上げた。
「明らかに、無理矢理車に乗せられたようにしか見えませんでしたが」
「――……でも……」
 すべて、原因はあたしなのに。

「もっと、自分を大事にしてください」

「――え」

 あきれたように、古川主任は言った。
「――最初に言ったでしょう、同族嫌悪が起きたと。……同じですよ。……すべて、自分が抱えれば良いと思う性質は、わかりますから」
「……古川主任」
「だからこそ、お節介だろうが、言いたくなるのです。――それで失敗した人間が言うんですから、間違いないですよ」
 あたしは、その自虐気味な言葉に目を丸くした。
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