Runaway Love

76

 数コール、スマホの向こうから呼び出し音が聞こえる。
 そして、慌てたように、彼は出た。

『ま、茉奈さん!すみません、今、大学(がっこう)で……』

 岡くんは、少しだけ声をひそめて言った。
「そう、悪かったわね、急に。――また、かけ直すわ」
『いえ、今、外に向かってるんで大丈夫です!』
「……アンタ、サボってんじゃないわよ」
『違います!もう、今日は終わってます。教授の手伝いだっただけで』
 そう言われ、先日の言葉を思い出す。
「――お土産、ちゃんと渡したの?」
『ハイ!……大喜びされました。……意外と、甘いもの好きな人なんで』
 世間話に花が咲きそうになり、あたしは慌てて頭を切り替える。
「――それより、ごめん、急に」
『――いえ。……何かあったんですか』
 すると、岡くんも、同じようにトーンを変えた。
 こういう時は、ちゃんと空気を読んでくれるのに。
「……実家の店の事なんだけど……アンタ、奈津美かテルくんから、何か聞いてない?」
 あたしが、少々遠まわしに尋ねると、彼は気まずそうに言った。
『――……えっと、それは……お客さんの事、ですか』
 その言葉だけで、先輩の事だと理解した。
『……あの、少し前に、茉奈さんの先輩だという人が来たって、奈津美が言ってました。……奈津美とも面識あったみたいで、割と、頻繁に来るって、テルがちょっとイライラし始めて……』
「――……そう」
 まだ、あたしの事をどうこう言っている訳ではないようだ。
『あ、あの、茉奈さん、どうして……。何か、奈津美から言われました?』
 どうやら、岡くんは、テルくんの方が心配なようだ。
 以前も、奈津美の交友関係で破局寸前までいったところを、彼が取り持ったのだ。
 不安にもなるだろう。
 あたしは、大きく息を吐いた。
「――……違うわ。……その人、あたしの高校の先輩で……取引先の営業」
『え、あ、そうなんですね』
 少しだけ安心したように返す岡くんに、淡々と続けた。


「――……あたしの奥深くに、棘を刺した、張本人」


『――え?』


 戸惑う彼に、あたしは平然と続けた。
「……今、その人と、ちょっとゴタゴタあって……実家の方も知られているから、何かされていないか、心配だっただけよ」
『ま、茉奈さん?……どうしたんです?何か、マズい事になってるんですか⁉』
 あせった声の彼に、あたしは、首を振る。
「――……ただの確認よ。……あたしは、まだ、帰れないから」
『ま……』
「……だから、お願い。……あたしの家族に何かあったら、すぐに教えて。いつだって、構わないから」
 強い口調でそう言うと、岡くんは、息を飲む。

『――わかりました。……あなたがいない間は、オレが守ります』

 そして、同じように強い口調で、そう言い切った。
 それは――とても頼もしく思え、無条件で安心できた。
「……ありがとう……。――頼んだわよ」
『……ハイ』
 通話を終えると、あたしは無意識に緊張している事に気がつき、大きく息を吐く。
 ――……これで、何かあったら、すぐに連絡がくるはず。
 今度こそ――きちんと向き合って、決別しないと。

 あたしは、そう決意して、立ち上がった。
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