Runaway Love
83
翌日から、部長代理の仕事の方に専念する事になった。
辞表は、結局書けずじまい。
でも、先輩の事がひとまず落ち着いたし、このままでも良いのかもしれない。
「杉崎代理、ここの請求書って――」
野口くんが、向かいから尋ねてくる。
あたしの仕事は、もう、ほぼ、彼に移行しているのだ。
「そこは、直接、支店の方に送っていいから」
「ハイ」
昨日の事で、何か影響があるかと不安になったが、彼も仕事と割り切ってくれているらしく、特に支障も無かった。
――経理部は、いつもの姿に戻りつつあるようだ。
「杉崎、週末空いてるか?」
社食で久し振りに一人でお弁当を広げていると、不意に頭上からそんな声が降って来て、あたしは顔を上げた。
「――空いてると言えば空いてるし」
「じゃあ、空いてるってコトだな」
そう言いながら、早川はあたしの隣に陣取る。
「映画、行かねぇ?先月から公開してるヤツ――」
早川は、スマホを取り出し、あたしに見せる。
それは、芦屋先生原作の、”アンラッキー”とは別のシリーズもの。
思わず食い入るように見てしまう。
ここ数か月、目が回るほどに時間が過ぎていったから、メディアのチェックも怠っていたし、そもそも、あたしはそういった情報に疎い。
揺れている心は誘惑には勝てず、あたしは、早川を見上げてポツリと言う。
「い、行きたい、かも……」
「よし、決定。買い出し日曜だろ。午後からにしておくか。チケット予約しとくぞ」
「ちょっと、勝手に決めないでよ!」
早川は、あたしを無視して操作を終え、スマホを片付けると、目の前の生姜焼き定食に箸をつけた。
「帰りに、買い出しの荷物持ちくらいするぞ?」
「……ズルいわね、ホント……」
あたしは、あきらめてうなづく。
早川は、笑顔でうなづき返すと、思い出したように言った。
「ああ、そう言えば――星野商店の営業さんから聞いたけど、山本のヤツ、社長秘書に異動になったんだと」
「――え」
昨日の今日で、一瞬、胸の奥が冷えたが、あたしは、早川に聞き返す。
「……社長秘書……?」
営業から異動できるような部署なのだろうか。
そう思ったのが顔に出ていたのに気づいた早川は、定食の味噌汁を飲み干して、窓の景色を見やった。
「……アイツ、星野商店の社長の甥っ子なんだと」
「え?」
それは初耳だ。
あたしが目を丸くしていると、早川は苦笑いであたしを見やった。
「――大阪での一件、古川主任から支社長経由で社長に報告が行ったんだが……」
「……古川主任が……?」
「まあ、あの人、ああいう性格だから、黙っていられなかったんだろうな」
早川は、再び、窓の外に顔を向けた。
「社長、報告もらってすぐに、向こうさんに乗り込んで行ったんだと」
「えぇ⁉」
「それで――まあ、アイツも、昔からああいうヤツだったんだな。星野社長、堪忍袋の緒が切れて、自分の目の届く所に置いて根性叩き直すって言ってたってよ」
あたしは、あ然として、早川の横顔を見つめた。
早川は、その視線を受け、苦笑いを浮かべる。
「だから、もう、辞めなくても良いんだからな」
そう言うと、きれいに食べ終えたトレイを持ち、立ち上がった。
あたしは、もう少しだけ残っているので、そのまま見送る。
だが、少し引っかかり、早川を見上げて尋ねた。
「……ねえ、早川……。アンタ、それ、どこ情報……?」
「いろいろだ。――向こうの営業さんと受付さんと、住吉さんが主だけどな」
――何で、アンタは、ウチの社長秘書ともやり取りしてるのよ!
あたしが渋い顔を見せると、早川は笑ってあたしの眉間を指で押した。
「シワになるぞ?」
「……うるさいわね」
「まあ、人脈作りも、仕事のうちだ」
そう言って、早川は社食を後にした。
――でも……そうか。
もう、先輩が自由にウチに来るような心配も無いのか。
あたしは、胸を撫で下ろす。
目の前の窓の外の景色は、いつもと変わらず――とてもきれいだった。
辞表は、結局書けずじまい。
でも、先輩の事がひとまず落ち着いたし、このままでも良いのかもしれない。
「杉崎代理、ここの請求書って――」
野口くんが、向かいから尋ねてくる。
あたしの仕事は、もう、ほぼ、彼に移行しているのだ。
「そこは、直接、支店の方に送っていいから」
「ハイ」
昨日の事で、何か影響があるかと不安になったが、彼も仕事と割り切ってくれているらしく、特に支障も無かった。
――経理部は、いつもの姿に戻りつつあるようだ。
「杉崎、週末空いてるか?」
社食で久し振りに一人でお弁当を広げていると、不意に頭上からそんな声が降って来て、あたしは顔を上げた。
「――空いてると言えば空いてるし」
「じゃあ、空いてるってコトだな」
そう言いながら、早川はあたしの隣に陣取る。
「映画、行かねぇ?先月から公開してるヤツ――」
早川は、スマホを取り出し、あたしに見せる。
それは、芦屋先生原作の、”アンラッキー”とは別のシリーズもの。
思わず食い入るように見てしまう。
ここ数か月、目が回るほどに時間が過ぎていったから、メディアのチェックも怠っていたし、そもそも、あたしはそういった情報に疎い。
揺れている心は誘惑には勝てず、あたしは、早川を見上げてポツリと言う。
「い、行きたい、かも……」
「よし、決定。買い出し日曜だろ。午後からにしておくか。チケット予約しとくぞ」
「ちょっと、勝手に決めないでよ!」
早川は、あたしを無視して操作を終え、スマホを片付けると、目の前の生姜焼き定食に箸をつけた。
「帰りに、買い出しの荷物持ちくらいするぞ?」
「……ズルいわね、ホント……」
あたしは、あきらめてうなづく。
早川は、笑顔でうなづき返すと、思い出したように言った。
「ああ、そう言えば――星野商店の営業さんから聞いたけど、山本のヤツ、社長秘書に異動になったんだと」
「――え」
昨日の今日で、一瞬、胸の奥が冷えたが、あたしは、早川に聞き返す。
「……社長秘書……?」
営業から異動できるような部署なのだろうか。
そう思ったのが顔に出ていたのに気づいた早川は、定食の味噌汁を飲み干して、窓の景色を見やった。
「……アイツ、星野商店の社長の甥っ子なんだと」
「え?」
それは初耳だ。
あたしが目を丸くしていると、早川は苦笑いであたしを見やった。
「――大阪での一件、古川主任から支社長経由で社長に報告が行ったんだが……」
「……古川主任が……?」
「まあ、あの人、ああいう性格だから、黙っていられなかったんだろうな」
早川は、再び、窓の外に顔を向けた。
「社長、報告もらってすぐに、向こうさんに乗り込んで行ったんだと」
「えぇ⁉」
「それで――まあ、アイツも、昔からああいうヤツだったんだな。星野社長、堪忍袋の緒が切れて、自分の目の届く所に置いて根性叩き直すって言ってたってよ」
あたしは、あ然として、早川の横顔を見つめた。
早川は、その視線を受け、苦笑いを浮かべる。
「だから、もう、辞めなくても良いんだからな」
そう言うと、きれいに食べ終えたトレイを持ち、立ち上がった。
あたしは、もう少しだけ残っているので、そのまま見送る。
だが、少し引っかかり、早川を見上げて尋ねた。
「……ねえ、早川……。アンタ、それ、どこ情報……?」
「いろいろだ。――向こうの営業さんと受付さんと、住吉さんが主だけどな」
――何で、アンタは、ウチの社長秘書ともやり取りしてるのよ!
あたしが渋い顔を見せると、早川は笑ってあたしの眉間を指で押した。
「シワになるぞ?」
「……うるさいわね」
「まあ、人脈作りも、仕事のうちだ」
そう言って、早川は社食を後にした。
――でも……そうか。
もう、先輩が自由にウチに来るような心配も無いのか。
あたしは、胸を撫で下ろす。
目の前の窓の外の景色は、いつもと変わらず――とてもきれいだった。