Runaway Love
「でも、杉崎主任、平気なんですか?医者、行きました?」
 外山さんが、眉を下げてあたしに尋ねる。
 あたしは、首を軽く振って答えた。
「中山先生に、薬出してもらったし……まあ、回復したみたいだから」
「疲れでも出たのかなぁ?」
 部長は、呑気な口調で、そんな事を言うので、あたしは全力で否定する。
「いえ。……自分の管理不足です」
「無理そうなら、強制送還だからね」
「はい」
 あたしは、それにうなづいて返すと、大野さんと野口くんを見やった。
「二人にも、ご迷惑をおかけしました」
 頭を下げるあたしに、二人は首を振った。
「いや、ただ、びっくりしただけだ。部長も言ったけど、無理は禁物だからな」
 野口くんも、無言でうなづく。同意見のようだ。
 あたしはうなづいて返すと、自分の席に戻った。
 確かに、早川が言うように、倒れた事をどうこう言うような人達じゃない。
 ――ただ、みんなに、仕事で迷惑をかけた事が、自分で許せないだけだ。
 あたしは、イスに座ると、パソコンを立ち上げる。
 そして、未処理のファイルボックスを見やると、半分ほど消えていた。
「――あれ?」
 確か、三件くらい、請求書関連の未処理があったはず……。
「あ、未処理のヤツ、杉崎主任が倒れた後、あたし、少し引き継がせてもらいました」
「え?」
 ――外山さんが?
 そう思ったのが、顔に出てしまったのだろう。
 ちょっとだけ、眉を下げ、外山さんは続ける。
「まあ、あたし、まだ教えてもらってなかったんで、大野代理が、ちょうど良い機会だから覚えようっておっしゃってくれて」
「そ、そう」
 何だか、素直に返せないのは何でだろう。
「杉崎くんも、他の仕事があるしね。そろそろ、外山くんにいくつか預けても良いんじゃないかい?」
「そ、そうですね……」
 戸惑うあたしに気づいたのか、部長がそう声をかけてきたので、あたしは、ぎこちなくうなづいた。
 ――自分の知らないところで、仕事を取られたような気がしたのは、何でだろう……。
 そのまま、昨日の未処理の仕事は外山さんが引き継ぎ、あたしは新しいものに手を伸ばそうとしたが、部長に止められた。

「ああ、杉崎くん。今日から、大野くんの仕事、引き継ぎしてくれるかい?」

「――え?」

 ――あたしが、大野さんの仕事を引き継ぐ……?

 あんまりにも突然の事に、キョトンとして返すと、部長に苦笑いで返される。
「本当は、昨日伝えようと思ったんだけどね、僕、今度、中央工場に出る事になったんだよ」
「……え?」
「何か、工場の方で、ちょっとバタついてて、経理係まで引っ張られて、仕事にならないんだって」
 だから、一か月程、部長が出向という形で、中央工場の経理を一手に引き受けるそうだ。
「で、大野くんが、その間、僕の代理になるから、大野くん自身の仕事を振らないとパンクしちゃうでしょ」
「そ、そうですね……。でも、あたしで大丈夫ですか……?」
 急な事で、頭が停止寸前だ。
 大野さんは、部長代理だから、当然と言えば当然のはずなんだけど、こんな本格的な事になるのは、あたしが来てから初めてだ。
「大丈夫かどうかは、やってみてからだろ」
 ちょっとだけ怖気づいたあたしに、大野さんは笑って言う。
「オレだって、部長の仕事、こなせるか心配なんだから。お前が弱気になってたら困るんだよ」
「は、はい」
 あたしは、気を引き締める。
 そういう事なら、ごちゃごちゃ考えている場合ではない。
 部長が出向するのは、来週。
 それまで、あたしは、大野さんに付きっ切りで仕事を覚えなければならない。
 今までのあたしの仕事は、野口くんと外山さんが引き受けてくれる。
 野口くんは、あたしが仕事を振った時もあるし、何より、後輩とはいえ、資格はあたしより上だ。
「まあ、こっちはこっちで、何とかしますよ。杉崎主任は、気にしないで集中してください」
「そ、そうですよ!あたしも、頑張りますから!」
 気合いを入れる二人に、あたしは、自然に口元が上がった。
「――頼りになる後輩で良かったわ」
 そう言うと、あたしは、自分のデスクから筆記用具と手帳を取り出し、大野さんの隣に陣取る。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。頼りにしてるから」
「……プレッシャーかけないでください……」
 あたしが見上げると、大野さんはニコニコと返すが、すぐに表情を引き締めた。

「じゃ、始めるから」
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