Runaway Love
「茉奈さん」

 瞬間、ビクリと身体が震える。
 顔を上げれば――あの時と同じように、眉を寄せてあたしを見やる――


 岡くんの顔。


「……そ、そっか。……そういう事だった訳」
「え?」

あの後(・・・)ラブホに誘ったのも、思い出作りだったって事なのね」

「――……え」

 あたしの言葉に、彼は目を見開く。

「……え、ま、待ってください。……あの後って……」

「――……二次会の後」

 岡くんは、瞬間、硬直する。
 あたしは、自嘲気味に口元を上げた。

「……思い出したわ……」

「え、ホ、ホント……に……」

 動揺を見せる彼から、視線をそらす。
「でも、まあ……十年振りにアンタに会っても、思い出せなかったんだから――全部、今さらよね」
「え」
 岡くんは、震える手で、あたしの両手をそっと握る。

「――……十年振りって……もしかして、覚えてたんですか……?」

「――……おじいさんと話した時、思い出したの。……傘、ありがとう。……あの後、風邪ひかなかった?」

 そう言い終えると同時に、強く抱き寄せられた。

「――……っ……」

 言葉が出ないのか、彼は、ただ、あたしを抱き締め続けるだけ。
 あたしは、されるがままになる。
 気の済むまで、好きにすればいい。

 ――……思い出は、もう、それで充分だろう。

「……茉奈さん」
 しばらくして、岡くんは、そっとあたしを離すと、ぎこちなく微笑む。
「……本当は……あの夜だけで――それで、あきらめられると思ったんです。……充分、思い出をもらえたと――」
「……そう。……なら、もう、いいわね」
 あたしは、岡くんから視線をそらし、立ち上がる。
 すると、すぐに左腕を引かれた。
「――……離して。……あたしは、もう、思い出の女、なんでしょ」
「違います!」
 その言葉に被せるように、彼は叫ぶ。

「あきらめられると思ってた!――でもっ……あなたを知れば知る程、離れたくなくなって……っ……!昔と同じように、凛として――でも、思ってた以上に優しくて照れ屋で頑固で――強くて……弱くてっ……!……もう、自分でも抑えらえないくらい……愛してるんです……!」

「岡くん」

 泣き出しそうなその表情を隠すように、彼はうつむく。

「――……もう、チャンスはもらえないんですか……?」

 ――言いながらも、彼は、まだ、あたしの腕を掴んで離そうとしない。

 あたしは、その手を、そっと、外す。
 力を入れているはずなのに、それは、とても簡単な事で。


「――……茉奈さん」


「――……さよなら。――……アンタは、自分の夢を叶えなさい」


 あたしは、置いていたバッグを持つと、部屋を出る。


 ――岡くんの、あたしを呼ぶ声が、ドアの向こうに消えていった。
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