Runaway Love
 雪がしんしんと降る中、野口くんは、いつもの書店の駐車場に車を停めた。
 年明けから、少しずつ積雪量が増え、今は五センチほど積もっている。
 まあ、大雪の時は、まず車が動かないから、それを思えば、まだマシか。

「気をつけてください」

 車を先に降りた野口くんが、助手席のドアを開け、あたしに手を差し出す。
 傘を差す程の距離ではない。入り口までは、ダッシュで行けば大丈夫だろう。
「あ、ありがとう」
 あたしは今だけ、その手に甘える事にする。
 足元には、駐車場用の消雪パイプ。
 水が出過ぎというくらいに出ているおかげで、そこら中水浸しだ。
 いくら、ブーツを履いているとはいえ、足をつく場所を間違えると、悲惨な目に遭うのは目に見えている。

「茉奈、どうせなら、お姫様抱っこで行くか」

「バカ言わないでよ、崇也」

 後部座席から降りた早川は、そう言って、野口くんとは反対から手を出してきた。
 あたしは、左右二人の手を取り、子供のように、水たまりを越える。
 着地成功、なんて、自分の中で少しだけ浮かれていると、
「……名前で呼ぶんですね」
「え?」
 不意にそう言われ、あたしは顔を上げた。
 野口くんは、少しだけ拗ねたような表情だ。
 ――それは、付き合っている時に見せたような……。
「え、あ……と、友達、だし?」
 ごまかすように言うと、野口くんは、あたしをジッと見つめる。
「……の、野口くん?」
「――また、ウワサになると困りますから、我慢しておきたかったんですけど」
「……え??」
 ふい、と、顔を背けると、野口くんは、早川を見やり言った。

「――今は、プライベートですから、役職はつけませんよ。――早川さん(・・・・)

 すると、早川は顔をしかめる。
「……ああ、まあ、別に構わねぇけどな」
「だそうです。茉奈さん(・・・・)
「おい⁉」
「――オレだって、部下と同時に、趣味仲間ですから」
 あたしは、またもや始まってしまったバトルに、ため息をつく。

「……ちょっと、二人ともいい加減にして。せっかくのサイン会、気分悪くさせないでちょうだい」

「「……っ……」」

 声を低くし、そう、二人に言うと、あたしは、先に足を進める。
「おい、茉奈、悪かったって!先行くなよ」
「茉奈さん!」
 二人の声を置き去りに、あたしは、浮かれ気味に、入り口から入ってすぐにできていたサイン会の列に並んだ。
 開始時間まであと十五分。
 ざわつく店内の少し奥まったところに、遠目からも確認できる特設会場ができている。
 あたしは、飛び出しそうな心臓を押さえながら、列に並んだ。
 ――まあ、その間も、四方八方からの、女性の視線が痛かったが。
「茉奈さん、そんなに慌てなくても大丈夫ですから」
 野口くんは、持っていた新刊をバッグから出す。
「新刊、持って来たのね」
「――ハイ。一応、サイン会の整理券抽選は、新刊の特典扱いなんで」
「え、あたし、昔の本持って来ちゃった。マズいかしら?」
 そう言って、バッグから文庫を取り出す。
 やっぱり、原点の”アンラッキー”シリーズ、一冊目。
 でも、新刊じゃないのは失礼かと思い、野口くんを見上げると、微笑んで返された。
「大丈夫ですよ。――ホラ」
 そう言って、辺りを見回す。
 あたしも同じように視線を向けると、芦屋先生の様々なシリーズの本を持った人達が並んでいる。
 みんな、それぞれ大切な一冊があるのだ。
「芦屋先生のサイン会って、いつも、サイン本じゃなくて、持って来た手持ちの本にサインなんです。一種のファンサービスなんですよ」
「そ、そう。……良かった……」
 すると、頭が軽く叩かれる。
 見上げれば、早川が口元を上げて、あたしを見下ろしていた。
「崇也?」
「そろそろ始まるぞ」
「――うん」
 どうやら、早川はこの場で新刊を買うつもりらしい。
 見れば、両手には、何も持っていない。

『お待たせいたしました!芦屋陽先生のご登場です!』

 マイク放送が響き渡り、あたしは、心臓が飛び出しそうに緊張した。
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