Runaway Love
「――おや、随分と懐かしいものをお持ちでしたね」
「……あ、あのっ……コレ、あたしが初めて買った本でっ……」
「そうですか。ありがとうございます」
そう言って、目の前の壮年の男性は、にこやかにあたしを見やり、年季の入った本にサインを入れてくれた。
あたしは、それだけでも、涙目になってしまう。
芦屋先生と話せるなんて――まるで、夢の中にいるみたいだ。
サインをもらい、あたしは九十度に頭を下げる。
そして、後ろに並んでいた野口くんに場所を譲った。
彼も少し緊張気味で、コミュ障の症状が気にかかったが、何とかなったようだ。
早川も、すぐ脇の新刊を手に取り、サインをもらう。
トップ営業の実力はどこへ行ったと突っ込みたくなるほど、ガチガチに緊張していて、笑ってしまったが。
「……全員、良かったな。直筆サインだぞ」
「ええ、夢みたい」
「夢じゃないですよ」
本屋のテナントのカフェで、三人で余韻に浸る。
それぞれが、サイン本に見入って感動しているのが面白く感じてしまい、あたしは思わず吹き出した。
「何だよ、茉奈?」
「ううん……何か、不思議な光景だなって……」
あたしは、それだけ言うと、コーヒーに口をつける。
ちょっと前は、こんな風にカフェに入る事すら、怖気づいていたのに。
「そう言えば、この前の映画、観ましたか?」
「――ああ、アレは……観損ねたな。DVD待ちだ」
早川はそう言って、あたしを見やる。
あたしは、視線を下げた。
「……茉奈さん?」
「……観に行くつもりだったんだけど……ちょっと、予定が狂っちゃって」
苦笑い気味に言うと、そのままうつむいてしまう。
――あれは、岡くんと決定的に離れた翌日なのだ。
「……そうですか、結構良い出来でしたよ」
「そっか……残念。……まあ、機会があったら、レンタルするわ」
取り繕うように笑みを作ると、あたしは、コーヒーカップに手を添える。
まだ、温かさが残るそれは、カイロ代わりだ。
「――……これから、どうします?」
不意に、そう、野口くんに尋ねられ、あたしは、早川を見やった。
「特に予定は無ぇけど……茉奈、買い出しは?」
「え、ああ、帰ったら行くつもりだけど」
「この雪でか?」
「いつもの事よ」
すると、野口くんが口を開いた。
「――オレ、マルタヤまで連れて行きますよ」
「え……でも、あそこ車入るの面倒よ」
あたしが、遠慮がちに言うと、野口くんは苦笑いで首を振る。
「マルタヤ、何軒あると思ってるんです?国道沿いなら、茉奈さんの近くの店の倍くらい売り場ありますよ?」
「あ、そ、そうよね。……その辺行った事無いから、頭から抜けてたわ」
行った事があるのは、自分の家の近くと、野口くんの家の近くの二軒だけだ。
でも、同じスーパーなのだから、大体、置いてあるのも同じだろう。
「……じゃあ、お願いできる……?」
野口くんはうなづくと、早川を見やる。
「早川さんは、どうします?」
「――荷物持ち、いるだろ。どうせ、ダンベル並みの重さになるんだろうからな」
「崇也!」
あたしは、早川をにらむ。
早川は、楽しそうに笑うだけだ。
「……何ですか、それは……。まあ、良いです。ついでですから、全員で行きますか」
「そうだな」
「――じゃあ、お願いね」
その後、それぞれカップを開け、店を出る。
降っていた雪は、もう止んでいて。
見上げれば、どんよりとした雲の隙間から、ほんの少し、弱々しく太陽の光が差し込んでいた。
それから、あたしの買い物に付き合ってもらい、早川と一緒に野口くんに送ってもらう。
「ありがと、野口くん。――今日は、本当に楽しかった」
車を降りながら、あたしは彼にそう告げる。
すると、口元を上げ、うなづき返された。
「――……やっぱり、これからも、時々はこうやって一緒に出かけたいです。趣味仲間として」
「……ええ、そうね」
予防線を張ろうとしたら、先に返され、あたしは苦笑いでうなづいた。
「じゃあ、俺も一緒に良いか」
「え」
あたしは、先に荷物を持って降りていた早川を振り返る。
だが、慌てて止めようとする前に、野口くんは、クスリ、と、笑った。
「――ハイ。……思ったより、話が合いましたね、早川さん」
「そうだな。茉奈とは対立してたけど、お前とは気が合いそうだ」
「……ちょっと、根に持たないでよ」
あたしは、ふてくされながらも、笑う。
さっきまで、車の中で”アンラッキー”の最後の場面で討論していたのだ。
そして、男二人は、完全にあたしと反対意見だった。
――こんな風にできるなんて、ちょっと前なら、考えられなかった。
これも、きっと――芦屋先生のおかげだろう。
あたしは、サイン会の時の先生の、穏やかな笑顔を思い浮かべた。
――芦屋先生。
――……あたしの人生は、先生のおかげで、意外と波乱万丈です。
「……あ、あのっ……コレ、あたしが初めて買った本でっ……」
「そうですか。ありがとうございます」
そう言って、目の前の壮年の男性は、にこやかにあたしを見やり、年季の入った本にサインを入れてくれた。
あたしは、それだけでも、涙目になってしまう。
芦屋先生と話せるなんて――まるで、夢の中にいるみたいだ。
サインをもらい、あたしは九十度に頭を下げる。
そして、後ろに並んでいた野口くんに場所を譲った。
彼も少し緊張気味で、コミュ障の症状が気にかかったが、何とかなったようだ。
早川も、すぐ脇の新刊を手に取り、サインをもらう。
トップ営業の実力はどこへ行ったと突っ込みたくなるほど、ガチガチに緊張していて、笑ってしまったが。
「……全員、良かったな。直筆サインだぞ」
「ええ、夢みたい」
「夢じゃないですよ」
本屋のテナントのカフェで、三人で余韻に浸る。
それぞれが、サイン本に見入って感動しているのが面白く感じてしまい、あたしは思わず吹き出した。
「何だよ、茉奈?」
「ううん……何か、不思議な光景だなって……」
あたしは、それだけ言うと、コーヒーに口をつける。
ちょっと前は、こんな風にカフェに入る事すら、怖気づいていたのに。
「そう言えば、この前の映画、観ましたか?」
「――ああ、アレは……観損ねたな。DVD待ちだ」
早川はそう言って、あたしを見やる。
あたしは、視線を下げた。
「……茉奈さん?」
「……観に行くつもりだったんだけど……ちょっと、予定が狂っちゃって」
苦笑い気味に言うと、そのままうつむいてしまう。
――あれは、岡くんと決定的に離れた翌日なのだ。
「……そうですか、結構良い出来でしたよ」
「そっか……残念。……まあ、機会があったら、レンタルするわ」
取り繕うように笑みを作ると、あたしは、コーヒーカップに手を添える。
まだ、温かさが残るそれは、カイロ代わりだ。
「――……これから、どうします?」
不意に、そう、野口くんに尋ねられ、あたしは、早川を見やった。
「特に予定は無ぇけど……茉奈、買い出しは?」
「え、ああ、帰ったら行くつもりだけど」
「この雪でか?」
「いつもの事よ」
すると、野口くんが口を開いた。
「――オレ、マルタヤまで連れて行きますよ」
「え……でも、あそこ車入るの面倒よ」
あたしが、遠慮がちに言うと、野口くんは苦笑いで首を振る。
「マルタヤ、何軒あると思ってるんです?国道沿いなら、茉奈さんの近くの店の倍くらい売り場ありますよ?」
「あ、そ、そうよね。……その辺行った事無いから、頭から抜けてたわ」
行った事があるのは、自分の家の近くと、野口くんの家の近くの二軒だけだ。
でも、同じスーパーなのだから、大体、置いてあるのも同じだろう。
「……じゃあ、お願いできる……?」
野口くんはうなづくと、早川を見やる。
「早川さんは、どうします?」
「――荷物持ち、いるだろ。どうせ、ダンベル並みの重さになるんだろうからな」
「崇也!」
あたしは、早川をにらむ。
早川は、楽しそうに笑うだけだ。
「……何ですか、それは……。まあ、良いです。ついでですから、全員で行きますか」
「そうだな」
「――じゃあ、お願いね」
その後、それぞれカップを開け、店を出る。
降っていた雪は、もう止んでいて。
見上げれば、どんよりとした雲の隙間から、ほんの少し、弱々しく太陽の光が差し込んでいた。
それから、あたしの買い物に付き合ってもらい、早川と一緒に野口くんに送ってもらう。
「ありがと、野口くん。――今日は、本当に楽しかった」
車を降りながら、あたしは彼にそう告げる。
すると、口元を上げ、うなづき返された。
「――……やっぱり、これからも、時々はこうやって一緒に出かけたいです。趣味仲間として」
「……ええ、そうね」
予防線を張ろうとしたら、先に返され、あたしは苦笑いでうなづいた。
「じゃあ、俺も一緒に良いか」
「え」
あたしは、先に荷物を持って降りていた早川を振り返る。
だが、慌てて止めようとする前に、野口くんは、クスリ、と、笑った。
「――ハイ。……思ったより、話が合いましたね、早川さん」
「そうだな。茉奈とは対立してたけど、お前とは気が合いそうだ」
「……ちょっと、根に持たないでよ」
あたしは、ふてくされながらも、笑う。
さっきまで、車の中で”アンラッキー”の最後の場面で討論していたのだ。
そして、男二人は、完全にあたしと反対意見だった。
――こんな風にできるなんて、ちょっと前なら、考えられなかった。
これも、きっと――芦屋先生のおかげだろう。
あたしは、サイン会の時の先生の、穏やかな笑顔を思い浮かべた。
――芦屋先生。
――……あたしの人生は、先生のおかげで、意外と波乱万丈です。