Runaway Love
「茉奈、夕飯食いに行かねぇ?」
 仕事も終わり、会社の正面玄関を出ると、後ろから早川が駆け寄って来て声をかける。
 いまだに住んでいる所は、二人とも同じだ。
「行かないわよ。まだ、作り置きあるし」
「じゃあ、明日」
「……土曜じゃない。姪っ子に会いに行くの」
「伯母バカだな、完全に」
「アンタもなってみなさいよ。可愛いんだから」
 おばちゃん、おばちゃん、と、ちょこちょこついてきては、可愛らしい仕草で、可愛らしく笑う姪っ子を、どうやったら嫌うというのだ。
「――いや、何なら俺は、お前との娘が欲しいけど?」
 そう、耳元で囁く早川を、あたしはジロリと見上げる。
「冗談でもやめて」
「悪い」
「今度言ったら、友達やめるから」
「わかった、わかった」
 そんなやり取りをしながら、あたしのアパートに到着した。
 早川は、時折、冗談交じりに口説き文句を口にするが、あたしは相手にしない。

 ――せっかくの友達を、失いたくないのだから。

「そういえば、茉奈」

「え?」

 あたしがアパートの階段を上ろうとすると、早川は、思い出したように尋ねた。
「――岡のヤツから、何か連絡あったか?」
「……ある訳無いじゃない。……アンタ、まだ、あのコと連絡取ってたの」
「――……いや……そういう訳じゃねぇけど……」
「じゃあ、何で……」
 すると、早川は気まずそうに視線をそらす。
「何よ」
「……悪ぃな、思い出させちまった」
 彼との事は、詳しくは話していないが、コイツにはお見通しなのだろう。
 早川は踵を返すと、自宅の方へ去って行った。
 あたしは、それを見送り、部屋へ入る。

 ――……連絡なんて、来る訳ないじゃない。

 ……もう、あたしは、思い出の中の女なんだから……。

 そう自覚すれば、日課のように涙はこぼれ落ちる。
 あれから、悔しいけれど、彼を思い出さない日は無かった。

 ――……一人で生きていけると思っていたのに。

 ――岡くんがいない日々が、こんなにさみしく、物足りないものだなんて、思いたくなかったのに――……。


 すると、不意にチャイムが鳴り響く。
 早川だろうか。まだ、何かあったか。
 あたしは、そう思い、すぐにドアを開ける。


「――何で、あっさりとドア開けるんですか、あなたは!」


「……え……?」


 だが、目の前にいたのは――昔よりも、少しだけ精悍な顔つきになった――岡くんだった。


「――……な……んで……」


 あたしは、かろうじて、それだけ口にする。
 身体はまったく動かない。
 すると、彼は、気まずそうにあたしを見下ろした。

「……すみません……急に……」

「え、ま、待って……どうして……」

 だが、その問いには答えず、岡くんは続けた。

「――もう、無理かとも思ったんです。……でも、奈津美に連絡取るたびに、あなたが、まだ一人だって聞いていて……」

 あたしの目には、涙が勝手に浮かんでくる。
 けれど、今は気にしている場合ではない。

「……あんな離れ方したけど……あなたを忘れるなんて、できる訳ないでしょう……?」

 岡くんは、泣き笑いのような表情で、そう言った。
 そして、次には、あたしをきつく抱き締める。

「――……岡、くん……」

 あれだけ求めていた彼が目の前にいるのに、あたしは、それだけしか言えない。

「茉奈さん――……オレ、来年、こっちに帰って来ます」

「……え?」

 耳元でそう言われ、あたしは顔を向けた。

 どういう事……?

「――ウチの先生、こっちの出なんです。……年齢(とし)年齢(とし)だし、そろそろ、地元に帰りたいって言って……事務所をこっちに移すんです」

「……え、ち、ちょっと待って……」

 動揺を隠せないあたしを、岡くんはそっと離すと、真っ直ぐに見つめてきた。
 ――その視線は、懐かしすぎて。

「――ついて来れる人間はついて来い、だそうです。……一番に手を挙げました」

 そう言って、彼は笑う。

 その瞬間、あたしは、彼の見た目以上にしっかりとした身体に抱き着いた。
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