Runaway Love
 やっぱり、昨日の今日。そして、病み上がりというのもあってか、あまり食は進まず、半分も手をつけずにお弁当を片付けた。
 水筒のお茶を、少しずつ口にしても、気分は晴れない。
 すると、部屋のドアが開いたので、あたしは反射でそちらを見やる。

「――野口くん」

 社食に行ったはずの彼は、十分もせずに戻って来た。
「どうしたの?社食、混んでた?」
 あたしは、無理矢理笑顔を作りながら尋ねると、野口くんは、無言のままで、目の前に来た。

「――……どう、したの?」

「やっぱり、納得いきません」

「え」

 彼にしては、珍しく、語気を強める。
「ウワサはウワサでしか、ありません。杉崎主任が、気を遣う必要なんて、無いでしょう」
 もしかして、それを言う為に戻って来たのだろうか。
 あたしは、口元を上げる。
 ――先輩らしい先輩じゃなかったかもしれないけれど、そう気を遣ってもらえる程には、思ってもらえたのかと思うと、少しは報われるな。
 そんな事を思っていると、野口くんは、そのまま、膝をついてあたしを下から見上げる。
 ――と言っても、長い前髪から、少しだけ目がのぞいているだけだけど。
「……の、野口くん?」
「――……辞める意思が変わらないなら……それまで、あがきませんか」
「え?」
 彼の言っている意味がわからず、あたしは聞き返す。
 すると、野口くんは、少しだけ言いづらそうに口を開いた。

「――……いっその事、オレと付き合ってるって事にでもしませんか」

「――……は……??」

 あんまりにも突拍子の無い提案に、あたしは目を丸くしたまま、固まった。
 すると、不意に、クスリ、と、笑う声が聞こえ、我に返る。
「――……杉崎主任、すごいカオしてましたね、今」
「ちょっ……からかったの⁉」
 あたしが、抗議しようとすると、野口くんは表情を戻した。
「いえ、本気です。……この状況で、主任に辞められるのも困りますし――オレで役に立つなら、協力します」
「――……でも……」
 そんな簡単にうなづける提案ではない。
 そもそも、野口くんに彼女がいたら、大事(おおごと)だ。
 けれど、彼はそんなあたしの思考を読んだように、首を振った。
「――オレ、恋愛とか、別にいいんで。……一人でいたいんです」
「――え」

 ――……それは、あたしと同じ考え。

 まさか、こんな身近に、そんな人がいるとは思わなかった。
「あ、あたしもっ……」
「え?」
「あたしも、同じ!……恋愛とか、したくないの。一人でいたい人間なのよ」
「――……ああ、それで……」
「え?」
 妙に納得したように言う野口くんに、あたしは聞き返す。
「――……配属時から、あんまり抵抗感無かったんです、杉崎主任にだけは。……オレ、元々、コミュ障なんで、初対面の人とか、まともに話した記憶無いんですけど――」
 あたしは、そう言われ、彼の配属時を思い出す。
 ――確かに、仕事を教える傍ら、雑談をする時もあったし、彼がミスした時には、すぐに相談された。
 それは、同じ考えを持つ仲間意識を、知らずに感じ取っていた為だったんだろうか。

「――オレ、できる限り頑張ってみますから――」

 すがるように言う野口くんは、そう言って、あたしを見上げる。

 ――もし、野口くんと付き合ってるフリをするのなら……少なくとも、早川とは距離を置けるはず。

 そうすれば――取引先の方は、もう、あきらめるとしても、会社内でのウワサは収まるかもしれない。

 ――……辞めなくても、済むかもしれない。

 半ば賭けのような提案だが――頭の中の天秤は、簡単に傾いた。

「――……わ、わかったわ。……もし、ウワサが収まらなかったら、予定通り、辞めれば良いんだし」

 野口くんは、その答えが不服だったのか、あたしの手を取ると、軽く口づける。
「の、のっ……!!?」
 言葉にならない叫びに、彼は、クスリ、と、口元を上げた。
「収まるように、頑張りますって」
「――……キ、キミ、そんなキャラだったの……?」
 あたしが、半ばぼう然としていると、野口くんは困ったように笑う。
「……まあ、こんな風で良ければ」
「変更してください!」
 一体、何を参考にしているのか。
 あたしは、そう思ったところで、昔、ハマっていた本の主人公が、そんな気障な事をやってのけていたと思い出す。

「……まったく……”アンラッキー”のキャラそっくり」

 思わずこぼした言葉に、野口くんは表情を変えた。
「もしかして、芦屋(あしや)作品、読んだ事あるんですか?」
「え、野口くん、知ってるの?」
「ハイ。ウチ、全部そろってますから」
「ホント⁉」
 二人で、驚いて確認し合う。
 どうやら、趣味は同じ読書。
 好きな作家や、作品も、割と似通っている事がわかり、急激にテンションが上がってしまう。
 今まで、本の話なんて、誰ともできなかった。

 ――……あの時以来、避けていたから。
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