Runaway Love

13

 帰りの車の中は、行きよりも静かだった。
 元々、共通の話題は、主に仕事の事くらいなのだ。
 本については、知ったばかりだし、あたしのテンションが上がり過ぎて危険だ。
 無理に話題を探す気にもなれず、あたしは、暗闇の中を流れていく明かりの波を見続けていた。
「杉崎主任」
「え」
 すると、不意に、声をかけられ、あたしは野口くんの方へ顔を向けた。
 ハンドルを握ったまま、チラリと見やると、彼は続ける。
「家、会社の近くですよね。送ります」
「あ、う、うん。……ありがと」
 あたしは、景色から、大体の位置を考える。
 もうすぐ、行きに通った駅裏の道に出るので、そのまま会社方面まで戻ってもらう。
「会社の体育館側通り過ぎて、ちょっと行けば見えるから」
「わかりました」
 数分で、見慣れた景色にたどり着き、無意識にホッとする。
「そこに停めてもらえば良――……」
 あたしは、言いかけると、不自然な程に停止してしまった。
「杉崎主任?」
「――……岡くん……」
 見やれば、アパートの階段の辺り、スマホをいじりながら突っ立っている岡くんがいる。
「――彼が、ですか」
「……ええ……」
 バイトは無かったんだろうか。課題は大丈夫なんだろうか。
 動揺しながらも、頭を回るのは、そんな事。
「オレ、挨拶した方が良いですか」
 その問いに答える前に、車はアパート前の道に停車した。
 サイドブレーキをかけると、野口くんは、先に車を降りる。
 そして、助手席側に回ると、当然のようにドアを開けてくれた。
「……あ、ありがと……」

「茉奈さん?」

 降りたと同時に、名前が呼ばれる。
 思わずうつむきたくなるのは、罪悪感からなのは、確かだ。
 岡くんは、あたし達に近づくと、野口くんを見やった。
「――あの」
 戸惑いぎみの声色に、視線は自然と下がってしまう。
 すると、野口くんは、あたしを隠すように前に立ち、岡くんを見下ろして言った。

「初めまして。野口といいます。――《《茉奈さん》》と同じ経理部員で、お付き合いさせてもらってます」

「――……え?」

 名前呼びに、一瞬、顔を上げそうになるが、杉崎主任、では、違和感があるので耐える。
「茉奈さん?……え?」
「ごめんなさい」
「――え?」
「――……ごめんなさいっ……」
 ただ謝るだけなのに、心臓が握りつぶされそう。爆発するんじゃないかと思うくらい、鼓動は速い。

「――ウソ、ですよね?」

 あたしは、思い切り首を振る。
 これ以上は無いだろうと思うほどに、傷つけるのだ。

 ――覚悟を決めろ。

「本当よ。――早川にも言ったわ」
 あたしは、顔を上げて言い切る。
 岡くんは、野口くんを見やり、あたしに視線を戻す。
「――……そう、ですか。……茉奈さんが、そう言うんなら――……」
 岡くんは、あたし達に頭を軽く下げると、停めていた自転車に乗って去って行った。

 ごめん。
 でも、わかって。

 ――アンタも、早川も――……あたしなんかで、時間を無駄にしないで。

 これ以上、不毛な事はやめて、ちゃんと、アンタ達を好きになってくれる女性(ひと)に出会って。

「――杉崎主任、大丈夫ですか?」
「え?」
 あたしが顔を上げると、野口くんの手が、頬に触れた。
「――泣いてる自覚、無いんですか」
「――え」
 大きく、包み込むような手の温もりに、涙をこぼしていた事に気がついた。
 あたしは、そっと、その手を外す。
「……ごめん……。――……こういうの、キツいわね……」
「――オレ、いた方が良いですか?」
 その問いには、首を振る。
「……一人にして」
「わかりました。――おやすみなさい、また明日」
 野口くんは、頭を下げて、車に乗り込むとそのまま帰路についた。

 ――……これで、良い。

 あたしは、涙を拭いながら、部屋に入った。
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