Runaway Love
 目覚ましの音が遠くに聞こえ、意識が朦朧とする中、何とか目を開ける。
 手元にあったスマホを確認すると、既に九時を過ぎていた。

「――……っ……!!!」

 真っ青になって飛び起きると、急いで支度を始める。
 結局、悩みぬいた後も、いろいろ考えを巡らせてしまい、最後に時間を確認したのは、夜中の一時半だったのだ。
 完全に寝坊した。
 あたしは、スマホを手に取りメッセージを見るが、野口くんからの連絡は、まだだった。
 けれど、いつ連絡が来るかわからないので、必要以上の事はできない。
 洗濯も掃除も、明日に回そう。
 あとは、少しでもお腹に何か入れておかないと。途中で鳴ってしまったら、いたたまれない。
 冷凍していたロールパンを温めて、インスタントのポタージュと一緒に、テーブルに置く。
 ――昼前、と、言ってたから、十一時くらい?
 壁の時計を見やれば、十時を過ぎたところだ。
 後は、歯磨きをして、メイクと着替え。
 そう思ったところで、再びがく然となってしまう。

 ――……メイクって……変えなきゃなの……⁉

 だが、よくよく考えれば、変えるだけのものを持っていなかった。
 すべて同じシリーズの、大人しく地味な色。
 ファンデとリップくらいしか無い。
 奈津美は、メイクボックスに、これでもかと詰め込んでいたけれど……。
 それを見て、一体、どこで使うのかと思ったものだ。
 あたしは、ポタージュを飲み終え、ため息をついた。
 ――こんな時まで、奈津美の事を気にしているなんて、バカみたい。
 今まで縁の無かった世界に遭遇してしまい、頼る相手もいない事を思い知らされる。

 ――……でも、まあ……詰まるところ、偽装なわけだし。

 最終的に、自分を無理矢理納得させ、支度を終えると、ちょうどメッセージが届いた。

 ――遅くなりました。アパートの前に、車停めてます。

 あたしは、それを確認すると、バッグの中身を点検して、部屋を出た。


「おはようございます」

「――……おは……よ……」

 あたしは、野口くんの車に乗り込み、目を丸くした。

「……髪、切ったんだ」

「あ、ハイ。まあ、昨日の今日だったんですが――朝イチで切ってきました」

 野口くんは、そう言って、自分の短くなった前髪を触ってみせた。
 これまでの長さの、半分程になっている。全体的に軽くなった印象だ。
 少し茶色が入っている髪は、昨日までの彼とは真逆すぎて、一瞬、別人かと思ったくらい。
「上の姉が、美容室やってるんで――ちょっと、無理言って」
「え、そ、そうなんだ」
「でも、久しぶりすぎて、視界がまぶしいです」
「何それ」
 あたしは、思わず吹き出してしまう。
「今日は眼鏡なんだね」
「ハイ。コンタクトする理由、無くなったんで」
 野口くんは、そう言いながら、細い黒縁の眼鏡を手で軽く直した。
「じゃあ、仕事の時は?」
「――できれば、眼鏡の方が楽かと。……あと、やっぱり、少しは隠したいんで……」
 来週、会社の女性陣の反応が怖すぎて、あたしは、背筋が寒くなった。

「茉奈さん?どうかしました?」

「あ、ううん、何でもな――……え?」

「え?」

 あまりにも自然すぎて、スルーしかけたが。
「な、名前……」
「ああ、一応、プライベートなんで、名前呼びの方が良いかと。――慣れておいた方が、後々、楽かと思って」
「そ、そうね」
 あたしは、挙動不審になりながらも、うなづく。

「――じゃあ……(かける)……くん……?」

 すると、発進しかけた車は、再び止まった。
「え、ごめん、名前違った⁉」
 慌てて野口くんをのぞき込むと、首まで真っ赤になっている。

「――……す、すみません……。……合ってます……」

 そう言って、視線をそらすと、再び車を発進させた。
「……思った以上に、恥ずかしいですね……」
「そ、そう……?」
 ポツリと野口くんは言うと、車は国道に出る。
「ショッピングモールの方で良いですか?靴買うんですよね」
「あ、うん。そこの靴屋で、いつも買ってるから」
「オレもです。モールだと、ひと通り、揃ってるから楽ですよね」
「そうね。あたし、必要なものって、そこくらいでしか買わないから、逆に店知らないのよ」
 すると、野口くんは、クスリ、と、口元を上げた。
「――オレもです。……何か、気が合いますね」
「ホント」
 お互いに笑い合い、他愛ない話をぽつぽつとしながら、ショッピングモールにたどり着いた。
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