Runaway Love
挨拶をしながら、経理部の部屋に入れば、既に大野さんがパソコンに向かいながら電話をかけていた。
どうやら、部長と、終わっていない引き継ぎをしているようだ。
あたしは、野口くんと二人で大野さんに頭を下げ、自分の席に着く。
すぐに、未処理のボックスから、先週残した書類を手に取ると、パソコンを立ち上げた。
そして、自分でまとめたマニュアルを見ながら、送られてきたデータをチェックしていく。
「お前、野口か⁉」
不意に聞こえた声に、あたしが顔を上げると、電話を終えた大野さんが目を丸くして叫んでいた。
「――……はあ……。……おはようございます……」
「お、おう……おはようさん」
大野さんは、動揺しながらも挨拶を返すと、あたしを見やる。
「……杉崎、お前、知ってたのか?野口の素顔」
「……はあ……そりゃあ、まあ……」
曖昧にうなづいてしまうが、この状態を見たのは、土曜日以来だ。
「おはようございます――……わあっ!ホントにイケメンになってる!!」
すると、今日は最後に出勤してきた外山さんが、ドアを開けた途端に叫んだ。
「……おはよう、外山さん。……どうしたの、そのセリフは……」
あたしが、若干眉を寄せながら言ったので、外山さんは小さくなって頭を下げた。
「……す、すみません。来る途中、野口さんが、すごいイケメンになってたって、そこら中でウワサになってたんで……」
「……ウワサになってるの……?」
思わず野口くんを見やる。
彼は、チラリと顔を上げてあたしを見るが、再び書類に目を落とした。
「――まあ、野口くんには変わりないんだし」
「そ、そうですよね。ごめんなさい、野口さん」
「――別に、構わないです」
淡々と返す野口くんに、少々おびえつつ、外山さんも自分の仕事を始めたのだった。
時折、大野さんがそこら中に出歩いてはいるけれど、ほぼ、滞りなく午前中は終了した。
先週頑張ったおかげか、どうにか、自分の仕事として大野さんの仕事を処理できている。
野口くんは、元々スキルがあるので、大きな変化は無かったようだけれど、外山さんは、時々ひとり言を言いながら、パソコンと書類と戦っていた。
「ホラ、昼休みだぞ。休憩、休憩」
部屋に戻ってくるなり、大野さんが急かすように言って、自分のイスの背もたれにかけてあった上着から、財布を取り出した。
お昼のベルに、誰も気づかなかったようだ。
「初日から飛ばしたら、後が大変だからな」
「はい」
あたし達は、それぞれうなづくと、外山さんは小さなバッグを持ち、あたしは久々に作る事ができたお弁当と、貴重品バッグを持つ。
「――野口くん、社食行く?」
さっさと部屋から出て行った大野さんと外山さんを見送ると、あたしは野口くんに尋ねた。
朝の状況から察すると、辛いかもしれない。
「……あ、はい」
ゆっくり立ち上がる動作は、とても、調子が良いようには見えない。
「ねえ、キツいなら、ここで食べる?」
「――いえ、大丈夫です。一緒にいなきゃ、偽装までした意味が無いでしょう」
「でも、野口くんが優先よ。無理言ってるのは、あたしの方なんだから」
あたしは、野口くんのそばに行き、少し青くなった顔をのぞき込んだ。
すると、不意にその顔が近づいてくる。
――え。
ふわりと包まれる感触に、抱きしめられたと気づくのは、数秒の時差があった。
「……野口……くん……?」
「――少しだけ……良いですか……」
「う、うん?」
あたしがうなづくと、少しだけ腕に力が入った。
そして、大きく息を吐き、野口くんは、あたしを離した。
「――ありがとうございます。落ち着きました」
「そ、それなら良かった……」
あたしは、脂汗が浮いている彼の額に手を当て、汗をぬぐう。
「え」
「無理しないでね」
そう言うと、あたしは彼の手を取る。
「ゆっくり、治していこう。せめて、仕事に支障が出ないくらいには」
「……そう、ですね」
お互いにうなづき合い、あたし達は部屋を出て、社食に向かった。