Runaway Love
あたしが顔を上げると、野口くんは、眉を寄せてあたしを見下ろしている。
「――何を、ですか」
「……だから……偽装……」
すると、不意に腕を引かれ、すぐ手前にある第一資料室に、二人で飛び込むように入った。
「の、野口くん?」
資料室は、誰でも入れるように、通常鍵はかけていない。
けれど、サムターンロックは、標準でついている。
野口くんは、それを後ろ手で回し、あたしに近づいてくる。
――……え……?
今まで感じた事の無い空気に、思わず後ずさる。
「――……何で、ですか」
「え」
「やっぱり、オレが彼氏役なんて、無理でしたか」
「ちっ……違うわよ!」
「じゃあ、何で急に……」
あたしは、背中に当たった棚の感触に、逃げ場が失われた事に気がつく。
「――茉奈さん」
近づいてきた野口くんは、悲しそうにあたしを見下ろす。
――そして、そっとあたしの手を握った。
「……オレ、頑張りますから……」
そんな事、言わせたい訳じゃないのに……!
あたしは、視線をそらしながら、言った。
「だ、だからっ……そうじゃなくてっ……野口くんに、申し訳ないって思ってっ……!」
「何がですか」
「だって、コミュ障なのに、頑張って色々してくれて……でも、結局、あたしのせいで、苦しい目に遭っちゃってるじゃない」
自分で言って、更に申し訳なくなった。
すると、野口くんは、あたしを抱き寄せ、耳元で言った。
「――そんな事、無いです。……オレ、茉奈さんの為なら、頑張れます」
「……っ……んっ……」
かすめていく吐息に、思わずビクリと体が震える。
すると、野口くんは、慌ててあたしを離した。
「だ、だからっ……茉奈さんが気に病む事なんて、無いんです」
「……あ、あり、がと……」
野口くんは、それだけ言うと視線をを逸らす。
そして、ドアの鍵を開け、こっそりと顔を出した。
外の様子をうかがい、バツが悪そうにあたしを振り返る。
「……すみません……。ちょっと、誤解されそうな感じなんで、オレ、先に戻ります」
「え、あ、あたしも……」
そう言いかけて、手で止められる。
「……っ……ダメ、です!……その顔、元に戻してからにしてください!」
「……は??」
「良いですね⁉五分したら、来てください!」
意味がわからないままだったが、野口くんが、珍しく強い口調で、念を押すように言ったので、それに従ったのだった。
それから、何となく時間が経ったかと思い、資料室から出て部屋に向かう。
何事も無かったかのように入れば、既に外山さんも野口くんもパソコンに向かっていた。
「あ、ごめんなさい。遅れたかしら」
「いいえー!ちょうど一時ですよー」
外山さんは、チラリとあたしを見上げ、首を軽く振った。
「大野代理は、さっきお昼に行きましたよ。結局、終わらなかったみたいです」
「そっか。――じゃあ、大野さんが帰ってくるまで、終わらせられるところは、終わらせてしまいましょ」
「ハイ!!じゃあ、あたし、銀行行ってきますね!」
外山さんの元気の良い返事に、思わず笑みが浮かぶ。
奈津美と同じような年だけど、彼女の方が性に合いそうだった。
――……まあ、身内だから、横柄な態度になるっていうのもあるかもしれないけど。
あたしは、机越しに無言のままの野口くんを見やると、すごい速さでキーボードを打ち、電卓をたたいていた。
ひとまず、さっきの影響は少ないようで、一安心だ。
――よし、あたしも、ちゃんと仕事しなきゃ。
辞めるとはいえ、後輩二人が頑張っているのを目の当たりにして、平然としていられるほどではないのだ。
三人で、できる限りのところまで終わらせると、ちょうど、大野さんがお昼から帰ってきた。
「……おい、何か、空気がピリピリしてないか……?」
「頑張って仕事してるだけですー!」
外山さんが言い返し、あたしは思わず吹き出してしまった。
「そうね。大野さん、ひとまず、こっちは終わりましたのでチェックお願いします」
「お、おお、わかった」
たじろぎながらも、大野さんは、あたしが出力した書類にチェックを入れる。
それを待っている間、金庫の鍵を受け取り、実現金の確認と照合。
明日の分の入金に必要な現金のメモを取ったり、ネットでの送金準備をする。
書類にOKをもらい、ひとまず、今日のルーティンは、ほぼ終了だ。
後は、毎日の締めと記帳やファイル。
まあ、それも外山さんに回すものが多くなっているので、あたしは、大野さんに引き継ぎの確認をする。
部長が出向して、まだ二日だけれど、大野さんの負担はまあまあ大きい。
あたしが、少しでも引き受けられるものは、引き受けなければ。
そんな気持ちが伝わったのか、大野さんも、自分の仕事をしながら、あたしへの引き継ぎも続けてくれた。
――あたし一人にできる事には限りがあるけれど、協力できるものは、していきたい。
そういう気持ちがつながって、仕事は回っていくのだろうから。
「――何を、ですか」
「……だから……偽装……」
すると、不意に腕を引かれ、すぐ手前にある第一資料室に、二人で飛び込むように入った。
「の、野口くん?」
資料室は、誰でも入れるように、通常鍵はかけていない。
けれど、サムターンロックは、標準でついている。
野口くんは、それを後ろ手で回し、あたしに近づいてくる。
――……え……?
今まで感じた事の無い空気に、思わず後ずさる。
「――……何で、ですか」
「え」
「やっぱり、オレが彼氏役なんて、無理でしたか」
「ちっ……違うわよ!」
「じゃあ、何で急に……」
あたしは、背中に当たった棚の感触に、逃げ場が失われた事に気がつく。
「――茉奈さん」
近づいてきた野口くんは、悲しそうにあたしを見下ろす。
――そして、そっとあたしの手を握った。
「……オレ、頑張りますから……」
そんな事、言わせたい訳じゃないのに……!
あたしは、視線をそらしながら、言った。
「だ、だからっ……そうじゃなくてっ……野口くんに、申し訳ないって思ってっ……!」
「何がですか」
「だって、コミュ障なのに、頑張って色々してくれて……でも、結局、あたしのせいで、苦しい目に遭っちゃってるじゃない」
自分で言って、更に申し訳なくなった。
すると、野口くんは、あたしを抱き寄せ、耳元で言った。
「――そんな事、無いです。……オレ、茉奈さんの為なら、頑張れます」
「……っ……んっ……」
かすめていく吐息に、思わずビクリと体が震える。
すると、野口くんは、慌ててあたしを離した。
「だ、だからっ……茉奈さんが気に病む事なんて、無いんです」
「……あ、あり、がと……」
野口くんは、それだけ言うと視線をを逸らす。
そして、ドアの鍵を開け、こっそりと顔を出した。
外の様子をうかがい、バツが悪そうにあたしを振り返る。
「……すみません……。ちょっと、誤解されそうな感じなんで、オレ、先に戻ります」
「え、あ、あたしも……」
そう言いかけて、手で止められる。
「……っ……ダメ、です!……その顔、元に戻してからにしてください!」
「……は??」
「良いですね⁉五分したら、来てください!」
意味がわからないままだったが、野口くんが、珍しく強い口調で、念を押すように言ったので、それに従ったのだった。
それから、何となく時間が経ったかと思い、資料室から出て部屋に向かう。
何事も無かったかのように入れば、既に外山さんも野口くんもパソコンに向かっていた。
「あ、ごめんなさい。遅れたかしら」
「いいえー!ちょうど一時ですよー」
外山さんは、チラリとあたしを見上げ、首を軽く振った。
「大野代理は、さっきお昼に行きましたよ。結局、終わらなかったみたいです」
「そっか。――じゃあ、大野さんが帰ってくるまで、終わらせられるところは、終わらせてしまいましょ」
「ハイ!!じゃあ、あたし、銀行行ってきますね!」
外山さんの元気の良い返事に、思わず笑みが浮かぶ。
奈津美と同じような年だけど、彼女の方が性に合いそうだった。
――……まあ、身内だから、横柄な態度になるっていうのもあるかもしれないけど。
あたしは、机越しに無言のままの野口くんを見やると、すごい速さでキーボードを打ち、電卓をたたいていた。
ひとまず、さっきの影響は少ないようで、一安心だ。
――よし、あたしも、ちゃんと仕事しなきゃ。
辞めるとはいえ、後輩二人が頑張っているのを目の当たりにして、平然としていられるほどではないのだ。
三人で、できる限りのところまで終わらせると、ちょうど、大野さんがお昼から帰ってきた。
「……おい、何か、空気がピリピリしてないか……?」
「頑張って仕事してるだけですー!」
外山さんが言い返し、あたしは思わず吹き出してしまった。
「そうね。大野さん、ひとまず、こっちは終わりましたのでチェックお願いします」
「お、おお、わかった」
たじろぎながらも、大野さんは、あたしが出力した書類にチェックを入れる。
それを待っている間、金庫の鍵を受け取り、実現金の確認と照合。
明日の分の入金に必要な現金のメモを取ったり、ネットでの送金準備をする。
書類にOKをもらい、ひとまず、今日のルーティンは、ほぼ終了だ。
後は、毎日の締めと記帳やファイル。
まあ、それも外山さんに回すものが多くなっているので、あたしは、大野さんに引き継ぎの確認をする。
部長が出向して、まだ二日だけれど、大野さんの負担はまあまあ大きい。
あたしが、少しでも引き受けられるものは、引き受けなければ。
そんな気持ちが伝わったのか、大野さんも、自分の仕事をしながら、あたしへの引き継ぎも続けてくれた。
――あたし一人にできる事には限りがあるけれど、協力できるものは、していきたい。
そういう気持ちがつながって、仕事は回っていくのだろうから。