Runaway Love

22

 珍しく平和にアパートまで帰ると、支度をしてタクシーを呼ぶ。
 実家までは車で十五分。ただ、歩くと相当かかってしまうので、車の無いあたしには、移動手段はタクシーしか無いのだ。
 免許はあるけれど、取ってから一回も公道を運転した事の無い、ペーパードライバーだから。
 車自体には乗れるけれど、やっぱり、ハンドルを握るのは怖いのだ。
 そのせいで、自動車学校(しゃがく)では、座学はストレートでいけたのに、実技では補講の繰り返しで、結局、期限スレスレで卒業だった。
 ――たぶん、一生、運転はしないだろうと思う。
 父さんが事故に遭った場面は見ていないが、聞かされた状況は映像に変換され、自分の頭の中に、こびりついたように離れないのだから。


 ――国道の玉突き事故。

 その被害一台目だった。


 百二十キロも出していた乗用車が、ハンドル操作を誤って、前を走っていた父さんの車に衝突し、その勢いのまま、車五台が巻き込まれた。

 ――乗用車の運転手は即死。

 ――父さんは、運転席に下半身を挟まれて動けず、出血多量で亡くなった。

 他の被害者は、重傷者二名、軽傷者六名。
 ――今は、ひとまず全員、体は元通りに治ったらしい。

 ――車に対するトラウマは、たぶん、消えていないだろうけれど。

 時折、被害者の会、のような所から連絡が来るので、他の人の近況が聞こえてくるのだ。

 母さんは、最初のうちは集まりに通っていたけれど、徐々に足は遠のき、店を始める頃には以前の母さんに戻っていた。
 まあ、そう見せていたんだろう。

「着きましたよ」

「あ、は、はい」

 考えているうちに、タクシーは自宅前に到着した。
 精算を済ませ、軽く挨拶を交わして降りる。
 そして、暗いままの店の脇を通って、奥の自宅の玄関の鍵を開けた。
 今日は、割と大人しい集団のようで、視界に入った靴は、いくつかあるけれど、昨日ほど騒がしくはない。

「母さん、今日はどんな――」

 あたしは、リビングのドアを開け――固まる。

「あ、お帰り、お姉ちゃん」
「お帰りなさい、義姉(ねえ)さん」

 ソファに座って、あたしに挨拶してきたのは――奈津美と、照行くん。

「――茉奈さん」

 そして、岡くんも、いた。

「茉奈、アンタ、仕事大丈夫なのかい?」
 硬直しかけた体は、母さんの言葉で、動きを取り戻す。
「だ、大丈夫……っていうか、何で奈津美が……」
「何でって、心配だから様子見に来ただけよ」
 心外、とばかりに、ふてくされる奈津美は、あたしを見上げる。
 自分が、どうやったら可愛らしく見えるのか、計算されているような――そんな角度で。
「奈津美の仕事が早かったんで、おれが拾ってきたんです」
「そ、そう……」
 あたしは、うなづくと視線をそらす。
 どうも、照行くんとは、いまだに上手く話せない。
 ――それは、昔からお互い顔見知りと思うと、気まずさが勝つから。
「お、岡くんは――何でいるのよ」
「お姉ちゃん、ヒドい言い方しないでよ!”けやき”で食材引き取ってもらったでしょ。その受領書、わざわざ持って来てくれたのよ」
「じいちゃん、そういうのキチンとしないと、うるさいんで」
 困ったように笑い、岡くんは封筒を見せてくる。
「――そう。……まあ、今回はお世話になったわね。ありがとう」
「え、あ、ハイ!」
 あたしは、最低限の礼儀なので、お礼を言うと、岡くんは背筋を伸ばして返事をした。
 まるで、先生に指された生徒のように、立ち上がりそうな勢いで。
「ああ、じゃあ、ちょうど良かった。茉奈、アンタ、”けやき”さんに菓子折り持って行ってくれない?」
「え」
 すると、母さんは奈津美を見やると、そう、あたしに言った。
「ちゃんと有料で引き取ってもらったんだから、当然でしょうが。ホントなら、廃棄処分しなきゃいけない物もあったのに」
「――な、何であたしが……。奈津美に行かせれば良いじゃない」

「何言ってんの。身重(みおも)()、ウロウロさせられないでしょうが」

 その言葉に、あたしの頭は停止する。

 ――身重(・・・)……?

「ちょっと、お母さん!しばらくは黙ってって言ったでしょ!」
「でも、やっぱり、知っておいた方が良いじゃないの。これから、いろいろあるんだし」
 二人のやり取りを、ぼう然と眺める。

 ――……え……身重……って……妊娠、って事よね……?

「ね、義姉(ねえ)さん、大丈夫ですか……?」
 遠慮がちに、あたしに声をかけてくる照行くんを見られない。

 ――式、この前だったわよね??

 ……って事は、できたのが先……⁉

「茉奈さん。オレ、車なんで、これから行けます?」
 あたしは、放心状態でうなづく。
 岡くんは、そんなあたしの背をそっとさする。
「――ゆっくり、整理しましょう」
「……え、ええ……」
 玄関に置いてあった菓子折りが入った紙袋を持つと、岡くんは、あたしの手をそっと握る。

 その温もりに、なぜか、心が落ち着いた。
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