ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる


 ーー2021年、春。

 予報によればあと数日で桜が開花するらしい。当直明けの俺は栄養ドリンクを片手に屋上からベリが丘を見下ろす。

 ベリカ大学病院のドクターチームの一員とし招集され、何度目の春だろう。手のひらを太陽に透かす。そんな歌詞の童謡があったなぁと思いながら。

 この手は医師としてのキャリアを着実に積み重ね、いくつかの命を取りこぼす。今朝方、担当していた少女が亡くなった。

「お疲れさん」

 缶コーヒーが差し出される。同じく当直明けの先輩は金網越しの景色に目を細めた。

「うっす」

「皮肉なもんだよな。こーんな遊ぶのに困らない街に住んでいながら、鳥籠の中にいるみたいな生活をしてる。ほら見ろ、豪華客船が停泊してるぞ! おーい! ここに独身男性が二人居ますよー! 合コンしません?」

「やめてくださいよ、恥ずかしい」

 港に向かって叫ぶ先輩。医師、それも外科医は花形として未婚女性から引く手数多だと思われがちだが、実際は交際している時間がない。

「慎太郎は彼女、いるのか?」

「仕事が恋人ですって答えたら朝飯奢ってくれます?」

「バカヤロー、先週振られた俺に奢れよな」

「はぁ、また振られたんですか。僭越ながら申し上げますと、身近な看護師ばかりに手を出すのは宜しくありませんよ」

「患者に手は出せないからな」

「そりゃあ立派なプロ意識で。朝飯、駅前のレストランでいいっすか?」

「駅前? 会員制の? お前、えらくなったもんだな」

「他に金を使う場所がないだけです。今ちょっと酒が飲みたい気分なんで」
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