ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる
「……そっか、奢りだし付き合うわ。心の痛みが麻痺するまで飲もうぜ!」

 先輩に肩を叩かれる。きっと亡くなった少女の両親に責められたのを知り、探してくれたのだろう。

 もう一度、手を太陽に翳す。生きているから悲しいんだ。少女は悲しむ事もできない。



「いらっしゃいませ、真田様」

「朝早くからすまない」

「我々は会員様のライフスタイルに合わせたサービスを提供致します。当直、お疲れ様でした。お食事はご用意できております」

 駅前にあるオーベルジュはもともと父が会員であり、彼が医師を辞めた際に俺へ権利を譲ってくれた。

 幼い頃は父が帰宅せずここへ宿泊する気持ちを理解できなかったが、今ならよく分かる。現実から離れ、身体を休めたい時に利用する。

「なぁ、こういう所ってプロポーズする時とかに来るんじゃないの?」

「なら先輩は俺と付き合ってくれます?」

「ごめんなさい、真田君とはお友達でいたいな! キャハ☆」

 胸の前で指を編み、照れる先輩。

「裏声で気色悪いこと言わないで下さい。ワインが不味くなる」

 乾杯はしなかった。代わりに冥福を祈る。
 グラスを傾け、庭園を眺めれば生命力溢れる緑に励まされた。

「何かお掛けしましょうか?」

「先輩、リクエストは?」

 提案をそのまま先輩へ流す。こう見えて彼はクラシックに造詣が深い。

「ーーツィゴイネルワイゼンで。慎太郎、伊集院桜って知ってるか?」

 リクエストから数十秒後にはヴァイオリンとピアノの音色が食卓へ添えられる。生演奏の時もあるが、流石に今回は違うか。

「いえ、知らないですね。ただ伊集院というと」

「ああ、作家の娘で母親はハリウッド俳優」

「それなら名前くらいは」

 著名人が多く住むベリが丘でも伊集院家は別格といっていい。
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