ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる
 人の血を見た後でも肉が食え、死を悼む傍ら酒を飲む。医者である自分と真田慎太郎という人間が天秤にかけられ、揺れ動く。

「……これ、やるよ」

 一枚のチケットがテーブルへ置かれた。

「へぇ、伊集院桜はヴァイオリニストなんですね」

「あ、お嬢様の手慰みって思ったろ?」

「違うんですか? 失礼ですが演奏家としての認知度は低いですし。芸能人の子供がクリエイティブな活動をして成功をおさめているケースって稀じゃないです?」

 先輩には悪いけれど伊集院桜のコンサートに惹かれない。このまま腹を満たし、眠りにつきたい気分だ。

「お前、俺の影響でクラシック聴くようになったよな?」

「えぇ、まぁ」

「なら彼女の凄さが分かると思うんだが」

 先輩が手を上げ、コンシュルジュを呼ぶ。

「伊集院桜のそうだなぁーーチャルダッシュ、流せるかな?」

 ワインのおかわりより次の曲をオーダーする先輩のクラシック好きは認めよう。しかしながら伊集院桜に関しては懐疑的だ。
 決してノーとは言わないコンシュルジュが頷き、下がる。

「断言する、お前は今夜コンサートへ足を運ぶってな」

 先輩はグラスをくゆらせ、赤い世界越しに俺を見た。

 後から振り返ると先輩には見えていたのかもしれない。俺が伊集院桜の演奏に溺れていく未来が。
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