ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる
「私に関係ない話をされても困ります」

 率直な感想だ。

 売店では親しげに話をして友人のように振る舞っていたが、今は言葉の節々に悪意が滲む。この男は信用ならない。

「関係ない? 果たして本当にそうでしょうか?」

「どういう意味? 勿体ぶらないで話してよ。退屈なお喋りに付き合う義理はないんだけど」

「はは、クールなミューズってキャラ設定じゃないんですね」

「……」

「分かりました、お話します。伊集院さんを治せば、真田は出世コースに戻れるでしょう。つまり君は出世の道具だ!」

 高橋は私の鼻先に人差し指を立てた。ひょっとして、これが言いたくてタイミングを見計らっていたのだろうか? 暇すぎる。

「はぁ」

 私は人差し指に灯る嫉妬の炎を吹き消す。

「下らない、どうでもいいし。私は治してさえくれれば、それでいいの。出世の道具として扱われても別段何も感じませんが?」

「悔しくないのかい? 物扱いされてるんだよ?」

「むしろ手術の成功を約束してくれるなら、医院長へ彼の出世を進言するわ。世界中が注目する復帰コンサートで真田慎太郎の名を口にしたっていい」


 高橋が私に憐れみの眼差しを向けた。ヴァイオリン以外の道があると思っているに違いない。

 私にはヴァイオリンしかないと何度訴えれば伝わるのか。演奏と引き換えならば何でも差し出すのに。

『地位も財産もあるくせ、取り零した物ばかりを追ってしまう』

 真田氏はこうも言った。だけど私はたった一つを取りこぼしたくないだけで、彼と似ていないんだ。

「……気分が悪いので部屋に戻ります。ドクターに伝えておいて」

 言付けして私も退出した。
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