ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる
「慎太郎はもし手を怪我して、二度と手術を出来なくなったらどうする?」

「はぁ? こんな時にエグい質問するな。そんなの即答出来ねぇし。ああ! また駄目だ!」

 ベリカ犬を持ち上げはしたが、重みに耐えきれず落ちてしまう。もう三千円は投資しており、戦果は望めなそうだ。

「諦めれば?」

「いいや、諦めない。こういうのは記念になるだろ? 買った方が安いかもしれないが、桜に取ってやったって思い出になる。お! どうだ?」

「……思い出だけじゃ頑張れないんだよ」

 わざと聞こえないように言う。

 どれほど素敵な記憶があっても脳内で再生し続けるうち、色褪せていく。過去を共有する相手が居ないと現実に留めておけない。忘れたくないのに思い出せなくなる。

「え? なんだって?」

「今だよ、アーム降ろして」

「よしきた!」

 指の背でガラスを叩く。アームが目当てのぬいぐるみの上で広がり、捉える。
 アームの先がベリカ犬の顔と胴体の間へ差し込まれ、グラグラしつつも宙に浮く。

 BGМのチャルダッシュは丁度フリスカの節となり、軽快なリズムでベリカ犬の移動を演出する。

 やっとの成功の気配に慎太郎の瞳は輝く。

「もしも……」

 彼の唇の動きを読む。

「もしも、手を怪我して医者としてのキャリアが終わるかもしれないってなれば」

「なれば?」

「ーーどうすればいいのか目の前が真っ暗になって泣いてしまうと思う。桜ももっと泣いて喚いて、苦しいって表現していい」

「泣いたって問題は解決しないわ。薬にも毒にもならない事を言うのはよして」

「薬や毒にならなくても、だ。絶望を一人で抱えるな、俺は桜の痛みに寄り添いたい。いいか?」

 私は耳がいい。慎太郎の発言を漏らさず拾った。

「大事にしてくれ、五千円はするぬいぐるみだぞ」
 
「……えぇ、病室に飾る。なにせ私の執刀医がくれるのだから」

 それから差し出されたベリカ犬をーー受け取る。
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