ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる
 再び、草笛の葉を唇へ当てる。
 これまで私は喜びも悲しみもを音で表現してきた。言ってみれば喜怒哀楽が記号だったから。

「なんて言えばいいか、分からない、分からないよ」

 ついに私は泣き出していた。

「そうか、分からないなら俺が教えてやる。俺を好きになれ、桜」

 慎太郎に優しく包みこまれる。頭を撫で、背中を擦り、私がここに居てもいいのだと肯定感を全身へ塗り込む。染み渡る温度で、自分が存外傷だらけになっていたんだと気付かされた。

「わ、私、こうやって誰かにずっと抱き締めて欲しかった。父が亡くなり、母が再婚したら誰も父の話をしなくなって……」

「寂しいなら飽きるほど側にいてやる。父親の話をしよう」

 ひっくひっく、嗚咽が漏れる。

「こら、そんなに唇を噛むと血が出る」

 親指で唇を撫でられた際、楽譜に書いてないものの、これがキスの合図だって分かる。

「いい子だ」

 言われて目を瞑った。

「俺の全身全霊をかけて、桜を守る。あなたは一人じゃない、もう一人にしない」

 誓いの口付けは長い孤独の雪解けみたい。彼の背中へ手を回し、ギュウッと抱き締め返す。
 音楽の神様なんていないと思っていた。父を連れていってしまい、私から旋律を奪おうとしてる神様なんか信じられなくて。

 けれどーー慎太郎との巡り合わせに感謝したい。ヴァイオリンを弾いていなければ彼に出会わなかっただろう。

 音楽の神様は居るのかもしれない、居たらいいなと思える。
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