ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる
「乾杯!」

「……乾杯」

 伴奏者とカウンターでグラスを合わせる。

「お酒は強い?」

「あまり飲みません」

「そうなんだ! 自分は結構強くてーー」

 彼の世間話は右から左に抜けていき、視界の隅で語らう三人へ意識が集中する。
 慎太郎は真剣に両親に訴えており、両親の方が困惑しているみたい。特に母が目配せして難色を示す。

 一体、何を話しているんだろう。

「ねぇ、橘さん」

 ふいに髪に触れられ、ハッとする。演奏を控えているので邪険にしづらく、抵抗は身を縮める程度に留めておく。

「橘さんは彼氏いるの?」

「か、彼氏ですか? えぇ、まぁ」

「へぇ、どんな人? 何をしてる?」

「とても優しい人です。職業は医者ですね」

「うわっ! 医者? エリートじゃないか! でもさ、医者ってリアリストっぽくない? 自分等アーティストとは思考回路が真逆そうなんだけど」

「そうでしょうか? 偏見じゃないです?」

 こと慎太郎に限ってはロマンチスト、私に内緒でクレーンゲームを練習する男なのだ。

「いやいや、音楽家は音楽家同士の方が価値観が合うと思うんだけどなぁ〜」

 膝に手を乗せられ、嫌悪感が込み上げる。この場を切り抜ける方法を巡らせるうち、舞台の準備が整ったのが見えた。

 私は飲み足りないと愚図る伴奏者を引き摺り、ピアノへ押し込む。
 あまりにも雑な演奏者の登場に周囲が若干どよめくが、彼等を黙らせる自信がある。

 ヴァイオリンを構え、弓を引く。
 ここは酒場、弾く曲は決まっているーーチャルダッシュ。
< 66 / 94 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop