ミューズな彼女は俺様医師に甘く奏でられる

7・好き



 ベリが丘駅は空港へ直通の交通手段も整えており、この時間でも行き交う人は多い。

 ヴァイオリンを濡らす訳にもいかず、一旦ホームへ逃げ込む。ドレス姿が思いのほか浮いていないのはべりが丘だからだろう。

(寒いな)

 かじかむ指を擦る。暦の上では春でも夜はまだ冷えるし、この雨。

 自販機で温かい飲み物を買おうとコーヒーのボタンを押しかけ、躊躇った。

 隣のルイボスティーを購入する。

 冷え切った頭と身体ではあまり深く考えられそうもない。
 瞼に映るラウンジでの最後の映像は、追い掛けようとした慎太郎を義父が止めたところだ。きっと母の加減を診させたかったのだろう。

 医師としての私と母、どちらを優先すべきか? 慎太郎は後者へ天秤を傾ける。当たり前だ。
 弱った母を退けて追い掛けてくる慎太郎なんて想像したくない。

 医師として正しい判断する慎太郎がスキャンダルのせいで病院に居られなくなるのなら、伊集院でなく私に相談して欲しかった。

 加熱する報道を沈黙させる力はないけれど、交際を公にすれば彼の立場を守れたかもしれない。ううん、守れたかもじゃなく守ってみせる。

「ーーっ」

 私は慎太郎と出逢い、泣き虫になってしまった。

 伊集院の資産目当てに近付かれるのは初めてじゃない。クールなミューズというキャッチーな響きに好奇心を抱かれるのも慣れている。私はヴァイオリンが弾ければそれで良かったから。

 それで良かった、のに。
< 70 / 94 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop