かりそめ婚のはずなのに、旦那様が甘すぎて困ります ~せっかちな社長は、最短ルートで最愛を囲う~
「君の家へ送ろう」
「いいえ、大丈夫です!」
「しかし、僕が君をここに連れてきてしまったんだ。責任持って送るよ」

 遠慮した望晴(みはる)だったが、拓斗が強引に押し切った。
 正直、愕然として、頭にもやがかかったようになっていたので、助かる。信じられなくて、思考が完全に停止していた。
 望晴は拓斗に連れられて、地下駐車場へ行くと、彼の運転する高級車で家まで送ってもらった。
 近くのパーキングに駐車する。
 アパートの前にはまだ人だかりがあり、その中に大家もいた。大家は望晴に気づいて、声をかけてきた。

「西原さん!」
「申し訳ありません。連絡に気づかなくて」
「それはいいけど、よかったね、家にいなくて」
「はい。ニュースで見て、急いで帰ってきたんですが……」

 望晴はまだ信じられない思いで黒焦げになったアパートを見上げた。
 外から見ても、望晴の部屋の辺りは真っ黒で窓も割れていて、とても住める状態ではないのがわかる。

「どうやら留守のお宅でお線香が倒れて火がついたみたいなの。逃げ遅れた人がいなくてよかったわ」
「本当ですね」

 人の被害がなくてなによりだが、望晴の持ち物は絶望的だ。
 それから、警察の聴取や現場の確認があり、行きがかり上、拓斗もそれに付き合ってくれた。
 望晴が帰宅を促しても「気になって無駄に脳のリソースを使うよりいい」と一緒にいてくれたのだ。
 とても彼らしいもの言いだが、望晴を心配してくれているには違いなかった。
 真っ黒に焦げた自分の部屋を見てショックを受けたし、心細かったので、有難かった。でも、効率を重視する彼に無駄な時間を使わせてしまって、気が引けた。

「今夜泊まるところはあるのか?」

 拓斗から聞かれて、今さらながら望晴は住む部屋も家財道具もすべて失ったことに気がついた。
 辺りはすでに真っ暗だ。
 すぐに泊めてくれるような友人はいないし、唯一頼れる啓介は彼女と同棲しているから、そこに転がり込むこともできない。

「……ホテルにでも泊まります」

 溜め息まじりに望晴が言うと、拓斗はためらいがちに言った。

「君の不便と僕の不便を解消する良い手立てを思いついたのだが」
「なんでしょう?」
「僕のところで住み込みで働かないか?」
「住み込みですか!?」
「君には家がない。僕は家政婦がいない。君は料理ができるらしいから、自分が食べるついでに食事を作ってくれると助かる。あとコーディネートも。もちろん、報酬は出す。火事でいろいろ物入りなんじゃないか?」

 望晴は中性的な美しさの拓斗を見つめた。
 彼には言葉通りの意図しかないように見えた。

(綺麗すぎて、男の人って感じはしないわよね)

 そのせいか、めずらしく異性なのに、こんなに長時間一緒にいて嫌悪感も恐怖心も感じない。こんなに気軽に話せるのは、今までは従兄の啓介ぐらいだったのに。
 お客と店員の間柄しかないにせよ、二年の付き合いで、彼の人となりもわかっているからだろうか。
 先ほど彼の部屋に行っても、変な雰囲気にはならなかった。
 女性に不自由するはずがないから、まさか自分を襲うなんてこともなさそうだ。
 逡巡する望晴に拓斗は付け加えた。

「使ってない部屋があるんだ。そこを自由に使ってもらっていい。僕は平日は朝から夜遅くまで働いているから、たいして顔を合わせないだろう。もちろん、君が嫌になったら出ていけばいい」

(こんな好都合なことってある? それにあそこだったらセキュリティばっちりよね?)

 望晴の天秤がぐらりと傾いた。
 拓斗の切れ長の目を見て、彼女は念を押した。

「甘えてしまって、本当によろしいのでしょうか?」
「あぁ、時間のあるときにでも、あのクローゼットの整理をしてくれると助かる」
「それならお任せください!」
「それじゃあ、決まりだな。帰るか」

 拓斗は安心したように美しい笑みを浮かべた。
 望晴の今後を案じてくれていたらしい。

「着替えが必要だな。サウスエリアで買うか?」

 車が出発させたところで、拓斗が言った。
 替えの下着さえないことに気づき、望晴は愕然とする。でも、サウスエリアでなんてとても高くて買えない。

「どこかで買ってから、由井様のお宅に向かいますから、適当なところで降ろしてもらえますか?」
「どうせ僕と一緒じゃないとあそこには入れないから、付き合う」
「せっかくの休日に申し訳ありません」
「今日は特になんの予定もなかったから気にしなくていい」

 論理的でクールな印象の拓斗は意外と親切だった。
 望晴は量販店に連れていってもらい、着替えや生活用品を買い求めた。
 拓斗には本屋で待っていてもらって。

「あぁ、寝具も必要だったな。ここには寝具は売ってるのか?」

 合流したところで、拓斗は聞いてきた。普段、こういうところには来ないのだろう。

「あります。なにからなにまですみません」

 布団も買って、いっぱいになった荷物を高級車に詰め、彼らは量販店を出た。

「なにか食べて帰ろう」

 時刻は二十時近い。
 拓斗はイタリアンレストランに連れていってくれた。
 高級フレンチのようなセレブな店じゃなくてよかったと、望晴はひそかに胸をなでおろした。

 食事が終わり、ようやく家路につく。 
 ノースエリアに入るゲートのところで、拓斗が守衛に「彼女と同居することになったから、手続きを」と言うと、望晴は写真を撮られた。

「名前は西原望晴さん。漢字は希望の望に天気の晴れだ」

 守衛はメモをして、「承知いたしました」とうなずいた。

「……よく私の名前まで憶えていただいてましたね」
「あぁ、記憶力には自信があるんだ。興味ない分野はさっぱりだが」
「お洋服とか?」
「そうだな。まったく覚えられない」

 得意げに言った拓斗は、望晴のつっこみに苦笑した。
 マンションのエントランスでもコンシェルジュに紹介されて、カードキーを渡された。

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