かりそめ婚のはずなのに、旦那様が甘すぎて困ります ~せっかちな社長は、最短ルートで最愛を囲う~
ナンパ
定休日の月曜日、望晴は出かけることにした。行き先は、サウスモールのはるやカフェだ。
(久しぶりよね)
以前は仕事帰りに寄って、夕食代わりに羊羹や和菓子を食べていたのだが、このところは拓斗の夕食を作るためにまっすぐ帰っているから、行く暇がなかったのだ。
その代わり、拓斗の部屋から近いので、今日みたいに休日に気軽に行ける。
はるやの店舗は、右側がカフェになっており、左側にはショーケースの中に持ち帰り用のお菓子が並んでいた。
「あら、西原さん、いらっしゃい」
屋号が染め抜かれたのれんをくぐった望晴を見て、顔なじみの店長が声をかけてくれる。
着物を小粋に着こなしたちゃきちゃきとした女性だ。望晴の母親と同じ世代だと思うのだが、細面の顔は若々しい。
「こんにちは、藤枝さん」
「今日のおすすめは季節限定の柚子羊羹ですよ」
「わぁ、美味しそう! じゃあ、それとお汁粉と煎茶のセットをください」
週一ペースでここに来ていた望晴はすっかり常連客で、あるとき、はるや愛を語った拍子に店長と意気投合して仲良くなったのだ。
名前はテナント割引を適用するために、ネームプレートを出していたら、覚えられた。
藤枝はオシャレなトレイの上に、柚子羊羹とお汁粉、煎茶を載せて、望晴の前に置く。黒地の皿に載った柚子羊羹の黄色が鮮やかだ。
「寒くなってきたから、お汁粉が恋しかったんです。あ~、この絶妙な甘さ加減と口当たりが最高! 数々のお汁粉を食べてきたけど、やっぱりはるやさんのは違いますよね! ん〜、幸せ!」
早速、お汁粉を匙ですくって口に入れた望晴は目を細めた。
その様子を見て、店長もにこにこする。
「西原さんが本当に美味しそうに食べてくれるから、こっちまでうれしくなるわ」
「だって、本当に美味しいんですもん」
そう言いながら、パクパクとお汁粉を食べた望晴は、煎茶で舌をリセットすると、今度は黒文字で柚子羊羹を切って食べた。
「これはさわやかな甘さですね。柚子の果実のちょっとした苦みがアクセントになっていて、いくらでも食べられそう!」
「気に入ってもらえてよかった」
「そういえば、この間、限定の檸檬羊羹も食べたんです。柚子とはまた違った爽快さで美味しかったです。色も綺麗でツートンになってて、かわいかったし」
「それはうれしいわ。社長に言っとかないと。うちも少しはバリエーションを増やしたいということで試しに作ったのよ。社長は渋ってたけど」
彼女は、はるやの社長と気安く話せる間柄なんだと驚きながら、望晴は相槌を打った。それならばと、この間、拓斗にも語った持論を披露する。
「そうなんですね。それならパッケージをオシャレにしたり、小分けにしたりしたら、もっと幅広い人に食べてもらえるんじゃないかと思うんです。若い人たちにこの美味しさをもっと知ってもらいたいなぁ」
「……息子と同じことを言うのね」
なぜかさみしげに藤枝がつぶやいた。
「息子さんが?」
「いいえ、なんでもないわ。ゆっくり召し上がってくださいね」
すぐ笑みを取り戻した藤枝はそう言って、厨房のほうへ戻っていった。
柚子羊羹を堪能していると、望晴の横で人が立ち止まった。
「おねーさん、ひとり?」
いきなり話しかけられ、彼女は驚いて顔を上げる。
そこには顔はいいけど軽薄そうな男性がいた。
まったく見覚えのない顔だ。
彼は勝手に望晴の向かいの席に腰かけた。
「俺もひとりだから一緒に食べようよ」
にこりと笑って、メニューを広げる。
彼を追い払いたいのに、望晴の顔からは血の気が引いて、声が出なかった。
(どうしよう。怖い……)
パニックを起こした望晴は息が苦しくなって、口もとを押さえた。
「そんな怖い顔しないでよ。せっかくかわいいのに」
「……っ!」
彼は口を押さえている望晴の手を掴んできた。
ビクッとした彼女はその手を振りほどこうとするが、しっかり握られていて、離せない。
「放して……」
ようやく声を出すことができて、望晴は小さくつぶやいた。
でも、その男はにやにやと笑いを浮かべるだけだった。
そこへ、ふいに別の手が出てきて、望晴から彼の手を引き離す。
「僕の連れになにか御用ですか?」
凛とした声で尋ねたのは拓斗だった。
「由井さん!」
男は笑みを顔に貼りつけたまま、拓斗を見た。
「連れ? 今、彼女とお茶してるのは俺だけど?」
(違う!)
望晴がブンブンと首を横に振ると、拓斗は彼女を守るように、肩に手を置いた。
急に触れられて、びくりと身じろぎしそうになるのを望晴は抑える。
拓斗はかばってくれるつもりのようで、わざと誤解を招く言い方をした。
「彼女とは一緒に住んでいる間柄だ。見たところ、彼女は嫌がっているようですが?」
冷たい瞳を向けた拓斗に、男はへらりと笑った。
「なんだ。同棲してるのか。それはお邪魔しました~」
さっさと立ち上がり、片手を上げると去っていった。
拓斗はすっと望晴の肩から手を離す。
彼女の口から安堵の溜め息が漏れた。
そして、感謝のまなざしで拓斗を見上げる。
「ありが――」
望晴がお礼を言いかけたとき、興奮したような声に遮られた。
「あなたたち知り合いだったの!? っていうか、拓斗、あなた、西原さんと同棲してたの? いつから?」
目をキラキラさせて問いかけてきたのは藤枝だった。
やけに拓斗に対して親しげだ。
拓斗はめんどくさそうに答える。
「同棲じゃなくて、同居。母さんこそ、西原さんと知り合いだったんだ?」
「えっ、藤枝さんが由井さんのお母様?」
望晴は驚いて、二人を見比べた。
言われてみれば、顔立ちが似ている。特に、目の形がそっくりだ。
「藤枝は旧姓なのよ。拓斗がお世話になっています」
「いいえ、こちらこそ、由井さんにはお世話になりっぱなしで。今も助かりました。ありがとうございます」
望晴が二人に向かって頭を下げると、藤枝が顔を曇らせた。
「さっきの方、お知り合いかと思って見ていたら、西原さんが困っているようだから、お声をかけようとしていたところだったの。ちょうど拓斗が来てよかったわ。はい、これ、頼まれていたものよ」
藤枝はそう言って、拓斗に紙袋を渡した。
どこかへの手土産なのか、はるやの紺色の紙袋だ。
拓斗はそれを取りに来たようだ。
「まったく知らない人で、怖くて動けなかったんです」
困った顔で微笑んだ望晴を見て、藤枝は謝ってくる。
「それなら早く声をかけたらよかったわね。申し訳ないことをしたわ」
「いいえ、まさかお店の中でナンパしてくるとは思いませんもの」
「本当よね。よっぽど魅力的だったのね」
望晴は苦笑して、かぶりを振った。
藤枝は拓斗を振り返り言う。
「拓斗、西原さんを家まで送っていってあげなさい」
「いえっ、大丈夫です! そんな申し訳ない……」
「僕もそう思ってた。なんかしつこそうな男だし、まだその辺をうろついてたらめんどうだ」
待ち伏せされる可能性を指摘されて、望晴は青くなった。それでも、彼女は首を横に振る。
「でも……」
「これをもらって置きがてら、家に書類を取りに帰るところだったんだ。問題ない。それより、ここでうだうだしている時間のほうがもったいない」
遠慮する望晴に、拓斗は淡々と言う。それはただ事実を述べているだけのようだったので、その言葉に甘えてもいいかと思い、望晴はうなずいた。
「じゃあ、お願いします。ありがとうございます」
(久しぶりよね)
以前は仕事帰りに寄って、夕食代わりに羊羹や和菓子を食べていたのだが、このところは拓斗の夕食を作るためにまっすぐ帰っているから、行く暇がなかったのだ。
その代わり、拓斗の部屋から近いので、今日みたいに休日に気軽に行ける。
はるやの店舗は、右側がカフェになっており、左側にはショーケースの中に持ち帰り用のお菓子が並んでいた。
「あら、西原さん、いらっしゃい」
屋号が染め抜かれたのれんをくぐった望晴を見て、顔なじみの店長が声をかけてくれる。
着物を小粋に着こなしたちゃきちゃきとした女性だ。望晴の母親と同じ世代だと思うのだが、細面の顔は若々しい。
「こんにちは、藤枝さん」
「今日のおすすめは季節限定の柚子羊羹ですよ」
「わぁ、美味しそう! じゃあ、それとお汁粉と煎茶のセットをください」
週一ペースでここに来ていた望晴はすっかり常連客で、あるとき、はるや愛を語った拍子に店長と意気投合して仲良くなったのだ。
名前はテナント割引を適用するために、ネームプレートを出していたら、覚えられた。
藤枝はオシャレなトレイの上に、柚子羊羹とお汁粉、煎茶を載せて、望晴の前に置く。黒地の皿に載った柚子羊羹の黄色が鮮やかだ。
「寒くなってきたから、お汁粉が恋しかったんです。あ~、この絶妙な甘さ加減と口当たりが最高! 数々のお汁粉を食べてきたけど、やっぱりはるやさんのは違いますよね! ん〜、幸せ!」
早速、お汁粉を匙ですくって口に入れた望晴は目を細めた。
その様子を見て、店長もにこにこする。
「西原さんが本当に美味しそうに食べてくれるから、こっちまでうれしくなるわ」
「だって、本当に美味しいんですもん」
そう言いながら、パクパクとお汁粉を食べた望晴は、煎茶で舌をリセットすると、今度は黒文字で柚子羊羹を切って食べた。
「これはさわやかな甘さですね。柚子の果実のちょっとした苦みがアクセントになっていて、いくらでも食べられそう!」
「気に入ってもらえてよかった」
「そういえば、この間、限定の檸檬羊羹も食べたんです。柚子とはまた違った爽快さで美味しかったです。色も綺麗でツートンになってて、かわいかったし」
「それはうれしいわ。社長に言っとかないと。うちも少しはバリエーションを増やしたいということで試しに作ったのよ。社長は渋ってたけど」
彼女は、はるやの社長と気安く話せる間柄なんだと驚きながら、望晴は相槌を打った。それならばと、この間、拓斗にも語った持論を披露する。
「そうなんですね。それならパッケージをオシャレにしたり、小分けにしたりしたら、もっと幅広い人に食べてもらえるんじゃないかと思うんです。若い人たちにこの美味しさをもっと知ってもらいたいなぁ」
「……息子と同じことを言うのね」
なぜかさみしげに藤枝がつぶやいた。
「息子さんが?」
「いいえ、なんでもないわ。ゆっくり召し上がってくださいね」
すぐ笑みを取り戻した藤枝はそう言って、厨房のほうへ戻っていった。
柚子羊羹を堪能していると、望晴の横で人が立ち止まった。
「おねーさん、ひとり?」
いきなり話しかけられ、彼女は驚いて顔を上げる。
そこには顔はいいけど軽薄そうな男性がいた。
まったく見覚えのない顔だ。
彼は勝手に望晴の向かいの席に腰かけた。
「俺もひとりだから一緒に食べようよ」
にこりと笑って、メニューを広げる。
彼を追い払いたいのに、望晴の顔からは血の気が引いて、声が出なかった。
(どうしよう。怖い……)
パニックを起こした望晴は息が苦しくなって、口もとを押さえた。
「そんな怖い顔しないでよ。せっかくかわいいのに」
「……っ!」
彼は口を押さえている望晴の手を掴んできた。
ビクッとした彼女はその手を振りほどこうとするが、しっかり握られていて、離せない。
「放して……」
ようやく声を出すことができて、望晴は小さくつぶやいた。
でも、その男はにやにやと笑いを浮かべるだけだった。
そこへ、ふいに別の手が出てきて、望晴から彼の手を引き離す。
「僕の連れになにか御用ですか?」
凛とした声で尋ねたのは拓斗だった。
「由井さん!」
男は笑みを顔に貼りつけたまま、拓斗を見た。
「連れ? 今、彼女とお茶してるのは俺だけど?」
(違う!)
望晴がブンブンと首を横に振ると、拓斗は彼女を守るように、肩に手を置いた。
急に触れられて、びくりと身じろぎしそうになるのを望晴は抑える。
拓斗はかばってくれるつもりのようで、わざと誤解を招く言い方をした。
「彼女とは一緒に住んでいる間柄だ。見たところ、彼女は嫌がっているようですが?」
冷たい瞳を向けた拓斗に、男はへらりと笑った。
「なんだ。同棲してるのか。それはお邪魔しました~」
さっさと立ち上がり、片手を上げると去っていった。
拓斗はすっと望晴の肩から手を離す。
彼女の口から安堵の溜め息が漏れた。
そして、感謝のまなざしで拓斗を見上げる。
「ありが――」
望晴がお礼を言いかけたとき、興奮したような声に遮られた。
「あなたたち知り合いだったの!? っていうか、拓斗、あなた、西原さんと同棲してたの? いつから?」
目をキラキラさせて問いかけてきたのは藤枝だった。
やけに拓斗に対して親しげだ。
拓斗はめんどくさそうに答える。
「同棲じゃなくて、同居。母さんこそ、西原さんと知り合いだったんだ?」
「えっ、藤枝さんが由井さんのお母様?」
望晴は驚いて、二人を見比べた。
言われてみれば、顔立ちが似ている。特に、目の形がそっくりだ。
「藤枝は旧姓なのよ。拓斗がお世話になっています」
「いいえ、こちらこそ、由井さんにはお世話になりっぱなしで。今も助かりました。ありがとうございます」
望晴が二人に向かって頭を下げると、藤枝が顔を曇らせた。
「さっきの方、お知り合いかと思って見ていたら、西原さんが困っているようだから、お声をかけようとしていたところだったの。ちょうど拓斗が来てよかったわ。はい、これ、頼まれていたものよ」
藤枝はそう言って、拓斗に紙袋を渡した。
どこかへの手土産なのか、はるやの紺色の紙袋だ。
拓斗はそれを取りに来たようだ。
「まったく知らない人で、怖くて動けなかったんです」
困った顔で微笑んだ望晴を見て、藤枝は謝ってくる。
「それなら早く声をかけたらよかったわね。申し訳ないことをしたわ」
「いいえ、まさかお店の中でナンパしてくるとは思いませんもの」
「本当よね。よっぽど魅力的だったのね」
望晴は苦笑して、かぶりを振った。
藤枝は拓斗を振り返り言う。
「拓斗、西原さんを家まで送っていってあげなさい」
「いえっ、大丈夫です! そんな申し訳ない……」
「僕もそう思ってた。なんかしつこそうな男だし、まだその辺をうろついてたらめんどうだ」
待ち伏せされる可能性を指摘されて、望晴は青くなった。それでも、彼女は首を横に振る。
「でも……」
「これをもらって置きがてら、家に書類を取りに帰るところだったんだ。問題ない。それより、ここでうだうだしている時間のほうがもったいない」
遠慮する望晴に、拓斗は淡々と言う。それはただ事実を述べているだけのようだったので、その言葉に甘えてもいいかと思い、望晴はうなずいた。
「じゃあ、お願いします。ありがとうございます」