かりそめ婚のはずなのに、旦那様が甘すぎて困ります ~せっかちな社長は、最短ルートで最愛を囲う~
「今日はご飯作らなくていいから、はるやカフェにでも行こうかな」
終業後、伸びをしながら望晴はつぶやいた。
拓斗は接待だから、帰るのが遅くなってもいいだろう。
そろそろ季節の限定商品も変わる頃だ。
それを考えると、立ちっぱなしで疲れた脚も軽くなる。
望晴は機嫌よくはるやカフェに向かった。
「西原さん、いらっしゃいませ」
藤枝がにこやかに出迎える。安定の着物美人だ。
それを見て、拓斗も着物が似合いそうだとふと思った。
「こんばんは。久しぶりに夜カフェに来ました」
「いつも拓斗の食事を作ってくれてるんでしょう? すみませんね」
「いえいえ、住まわせていただいているだけで有難いので」
拓斗と話したのか、藤枝は望晴の事情を知っているようだった。
「あの子は言葉足らずなところがあるから、なにかあったら言ってくださいね。とっちめてあげるから」
「大丈夫です。由井さんはとても親切で気を使ってくれるので」
「拓斗が気を使う? 西原さんには違うのね。よかったわ」
甲斐も藤枝も異口同音に拓斗のことをけなすようなことを言うので、望晴はかばいたくなった。
「由井さんは本当に優しいですよ?」
「あの子を理解してもらえてるみたいでよかったわ」
藤枝はうれしそうに笑った。
「そういえば、西原さんに食べてみてほしい新作があるのよ」
「なんですか!?」
ワクワクして目を輝かせた望晴に、藤枝はメニューを差し出した。
「この『聖夜』っていうお菓子なの」
「じゃあ、それといつものお汁粉セットをください」
「はーい」
藤枝は厨房に戻ると、すぐお盆を持って帰ってきた。
望晴の前にお茶とお皿を置く。
「わぁ、綺麗! かわいい!」
一目見て、望晴は歓声をあげた。
お皿の上には、キラキラ光るツリーが乗っていたのだ。
練り羊羹の上に透明な寒天が乗っていて、その中に色羊羹でできたツリーと星が閉じ込められていた。その周りに金箔が散りばめられていて、とてもゴージャスだ。
「もうすぐクリスマスですもんね。これはプレゼントにもいいですね!」
(由井さんはもう食べたかしら?)
テンションがあがって、拓斗にも見せたくなる。
「でしょう? ベテラン社員の中には『世の中に迎合しすぎ』と言う人もいるけど、変化は必要だと思うのよね」
「そんなことを言う人がいるんですか? 迎合じゃなくて進化ですよ!」
「進化……。いいわね、その言葉。味にも自信があるから食べてみてくださる?」
にっこり笑って、藤枝は勧めた。
「もちろんです!」
望晴は黒文字でそっと『聖夜』を切り分け、口に入れる。
「これは……美味しい! 小豆羊羹と寒天と色羊羹の味が相まって、いろんな甘さで口の中が幸せ~。星はこの間の檸檬羊羹ですか? ツリーは抹茶かな? 一つでいろんな味が楽しめて、いいですね!」
興奮気味に感想を告げると、藤枝もうれしそうにうなずいた。
「さすが西原さん。わかっちゃうんだ。そうなの。色羊羹はそれぞれ味を変えているから、部分部分で味わいが違うのよ」
二人できゃいきゃい盛り上がっているところに、声がかけられた。
「こんばんは。そんなのが夕食なの?」
いつの間に来ていたのか、入江が横にいた。
好きなお菓子を『そんなの』と言われてムッとした望晴は言い返した。
「そんなものではありません。綺麗で美味しいお菓子なんですよ」
「でも、夕食にするものじゃないだろう?」
「そう、ですが……」
「望晴ちゃんの食生活が心配だな。俺とちゃんとしたものを食べに行こうよ」
彼が馴れ馴れしく名前を呼んでくる。この前、ネームプレートを見て、なんと読むのか聞かれたのだ。
まっとうな意見に望晴が口ごもっていると、入江は彼女の腕を掴んで立たせようとした。
「普段はちゃんと食べてるから大丈夫です」
彼の手を振り払うも、また腕を掴まれる。
「そんなに邪険にしないでよ。食事ぐらい行ってもいいじゃん」
「行きません!」
押し問答していると、店員が声をかけてきた。
「申し訳ありませんが、他のお客様にご迷惑になるので……」
望晴を助けようとしてくれたのかもしれないが、彼女は店中の視線が集まっているのに気づき、冷や汗が出た。
(視線が怖い……)
掴まれた腕も気持ちが悪い。
キュッと視野が狭まって、息が苦しくなってきた。
「ほら、周りに迷惑だって。出よう」
力の抜けた望晴の腕を引っ張って、入江は強引に立たせた。
「西原さん、大丈夫?」
藤枝が引き留めてくれたが、こうなっては店に留まるのもつらいと思って、望晴は弱々しい笑みを浮かべて言った。
「うるさくして、すみません。今日は帰りますね」
望晴の言葉に、入江は思惑通りだというように口端を上げて、伝票を手に取った。
慌てた藤枝が制止した。
「待って。謝ることはないのよ? 今、拓斗を呼んだから」
「え?」
びっくりして藤枝の顔を見たところに、本当に拓斗が現れた。
濃紺のステンカラーコートが似合っている彼はつかつかと近寄ってきて、望晴の腕を掴んだままだった入江の手を外した。望晴の肩を抱き寄せる。やはり彼に触られるのは平気だった。それどころか、ほっとする。
「僕の婚約者にちょっかいをかけるのはやめてもらえますか?」
(こ、婚約者?)
望晴は思わず声をあげそうになったが、彼を追い払うために言っているのだと気づいて、口をつぐんだ。
入江はへらっと笑みを浮かべ、拓斗を見た。
「婚約者? 一緒に住んでるだけじゃなかった?」
「あなたには関係ない話ですが、先日結婚を決めたのです」
冷静に言い返す拓斗に守られていると感じ、望晴は安堵するとともに申し訳ない気持ちになった。
そこまで言われても入江は笑顔を崩さず、視線を望晴に向けた。
「ふ~ん。望晴ちゃん、彼に飽きたら、俺と遊んでね」
拓斗の目の前で堂々と言う。
あきれた望晴はきっぱりと言った。
「飽きませんし、遊びません」
「つれないなぁ」
入江はまったく堪えた様子もなくハハッとおかしそうに笑った。
「これ以上、望晴にかまわないでくれますか? 時間がないので、これで失礼します」
拓斗は一方的に告げて、望晴の背中を押し、カフェを出た。
そこには電話をしている甲斐がいた。
拓斗の目配せで一緒に歩きはじめる。
「由井さん、接待じゃなかったんですか? すみません、巻き込んでしまったようで」
「これから接待だ。母が電話してきたんだ。まったく……」
苛ついた表情を見せる拓斗について歩きながら、望晴は頭を下げた。
「本当に申し訳ありません」
「君に言ったんじゃない」
強い口調で返したあと、トーンダウンして、拓斗は言った。
「あの訳のわからない男に腹が立っただけだ」
「本当になにがしたいのかしら」
「よっぽど君が気に入ったんだな」
そう言われて、望晴は顔をしかめる。
(冗談じゃないわ。どうして私は変な人に好かれるのかしら)
望晴は黙り込んで、拓斗もそれ以上口を開かなかった。
三人がモールの出口に着くと、すかさず、甲斐がタクシーを止める。
「先に帰っててくれ」
「でも、由井さんたちのほうがお急ぎじゃ……」
「先方には遅れると連絡しましたので、大丈夫ですよ」
甲斐はそう言ってくれたが、望晴が遠慮していると、拓斗が渋面で言った。
「君が早く行動してくれたら、その分、僕たちも早く行ける」
急かすように言われて、望晴は慌ててタクシーに乗りこんだ。
「ベリが丘レジデンスへ行ってくれ」
拓斗が運転手に告げる。
「ありがとうございました」
彼女がお礼を言っている間にタクシーのドアが閉まり、動き出した。
終業後、伸びをしながら望晴はつぶやいた。
拓斗は接待だから、帰るのが遅くなってもいいだろう。
そろそろ季節の限定商品も変わる頃だ。
それを考えると、立ちっぱなしで疲れた脚も軽くなる。
望晴は機嫌よくはるやカフェに向かった。
「西原さん、いらっしゃいませ」
藤枝がにこやかに出迎える。安定の着物美人だ。
それを見て、拓斗も着物が似合いそうだとふと思った。
「こんばんは。久しぶりに夜カフェに来ました」
「いつも拓斗の食事を作ってくれてるんでしょう? すみませんね」
「いえいえ、住まわせていただいているだけで有難いので」
拓斗と話したのか、藤枝は望晴の事情を知っているようだった。
「あの子は言葉足らずなところがあるから、なにかあったら言ってくださいね。とっちめてあげるから」
「大丈夫です。由井さんはとても親切で気を使ってくれるので」
「拓斗が気を使う? 西原さんには違うのね。よかったわ」
甲斐も藤枝も異口同音に拓斗のことをけなすようなことを言うので、望晴はかばいたくなった。
「由井さんは本当に優しいですよ?」
「あの子を理解してもらえてるみたいでよかったわ」
藤枝はうれしそうに笑った。
「そういえば、西原さんに食べてみてほしい新作があるのよ」
「なんですか!?」
ワクワクして目を輝かせた望晴に、藤枝はメニューを差し出した。
「この『聖夜』っていうお菓子なの」
「じゃあ、それといつものお汁粉セットをください」
「はーい」
藤枝は厨房に戻ると、すぐお盆を持って帰ってきた。
望晴の前にお茶とお皿を置く。
「わぁ、綺麗! かわいい!」
一目見て、望晴は歓声をあげた。
お皿の上には、キラキラ光るツリーが乗っていたのだ。
練り羊羹の上に透明な寒天が乗っていて、その中に色羊羹でできたツリーと星が閉じ込められていた。その周りに金箔が散りばめられていて、とてもゴージャスだ。
「もうすぐクリスマスですもんね。これはプレゼントにもいいですね!」
(由井さんはもう食べたかしら?)
テンションがあがって、拓斗にも見せたくなる。
「でしょう? ベテラン社員の中には『世の中に迎合しすぎ』と言う人もいるけど、変化は必要だと思うのよね」
「そんなことを言う人がいるんですか? 迎合じゃなくて進化ですよ!」
「進化……。いいわね、その言葉。味にも自信があるから食べてみてくださる?」
にっこり笑って、藤枝は勧めた。
「もちろんです!」
望晴は黒文字でそっと『聖夜』を切り分け、口に入れる。
「これは……美味しい! 小豆羊羹と寒天と色羊羹の味が相まって、いろんな甘さで口の中が幸せ~。星はこの間の檸檬羊羹ですか? ツリーは抹茶かな? 一つでいろんな味が楽しめて、いいですね!」
興奮気味に感想を告げると、藤枝もうれしそうにうなずいた。
「さすが西原さん。わかっちゃうんだ。そうなの。色羊羹はそれぞれ味を変えているから、部分部分で味わいが違うのよ」
二人できゃいきゃい盛り上がっているところに、声がかけられた。
「こんばんは。そんなのが夕食なの?」
いつの間に来ていたのか、入江が横にいた。
好きなお菓子を『そんなの』と言われてムッとした望晴は言い返した。
「そんなものではありません。綺麗で美味しいお菓子なんですよ」
「でも、夕食にするものじゃないだろう?」
「そう、ですが……」
「望晴ちゃんの食生活が心配だな。俺とちゃんとしたものを食べに行こうよ」
彼が馴れ馴れしく名前を呼んでくる。この前、ネームプレートを見て、なんと読むのか聞かれたのだ。
まっとうな意見に望晴が口ごもっていると、入江は彼女の腕を掴んで立たせようとした。
「普段はちゃんと食べてるから大丈夫です」
彼の手を振り払うも、また腕を掴まれる。
「そんなに邪険にしないでよ。食事ぐらい行ってもいいじゃん」
「行きません!」
押し問答していると、店員が声をかけてきた。
「申し訳ありませんが、他のお客様にご迷惑になるので……」
望晴を助けようとしてくれたのかもしれないが、彼女は店中の視線が集まっているのに気づき、冷や汗が出た。
(視線が怖い……)
掴まれた腕も気持ちが悪い。
キュッと視野が狭まって、息が苦しくなってきた。
「ほら、周りに迷惑だって。出よう」
力の抜けた望晴の腕を引っ張って、入江は強引に立たせた。
「西原さん、大丈夫?」
藤枝が引き留めてくれたが、こうなっては店に留まるのもつらいと思って、望晴は弱々しい笑みを浮かべて言った。
「うるさくして、すみません。今日は帰りますね」
望晴の言葉に、入江は思惑通りだというように口端を上げて、伝票を手に取った。
慌てた藤枝が制止した。
「待って。謝ることはないのよ? 今、拓斗を呼んだから」
「え?」
びっくりして藤枝の顔を見たところに、本当に拓斗が現れた。
濃紺のステンカラーコートが似合っている彼はつかつかと近寄ってきて、望晴の腕を掴んだままだった入江の手を外した。望晴の肩を抱き寄せる。やはり彼に触られるのは平気だった。それどころか、ほっとする。
「僕の婚約者にちょっかいをかけるのはやめてもらえますか?」
(こ、婚約者?)
望晴は思わず声をあげそうになったが、彼を追い払うために言っているのだと気づいて、口をつぐんだ。
入江はへらっと笑みを浮かべ、拓斗を見た。
「婚約者? 一緒に住んでるだけじゃなかった?」
「あなたには関係ない話ですが、先日結婚を決めたのです」
冷静に言い返す拓斗に守られていると感じ、望晴は安堵するとともに申し訳ない気持ちになった。
そこまで言われても入江は笑顔を崩さず、視線を望晴に向けた。
「ふ~ん。望晴ちゃん、彼に飽きたら、俺と遊んでね」
拓斗の目の前で堂々と言う。
あきれた望晴はきっぱりと言った。
「飽きませんし、遊びません」
「つれないなぁ」
入江はまったく堪えた様子もなくハハッとおかしそうに笑った。
「これ以上、望晴にかまわないでくれますか? 時間がないので、これで失礼します」
拓斗は一方的に告げて、望晴の背中を押し、カフェを出た。
そこには電話をしている甲斐がいた。
拓斗の目配せで一緒に歩きはじめる。
「由井さん、接待じゃなかったんですか? すみません、巻き込んでしまったようで」
「これから接待だ。母が電話してきたんだ。まったく……」
苛ついた表情を見せる拓斗について歩きながら、望晴は頭を下げた。
「本当に申し訳ありません」
「君に言ったんじゃない」
強い口調で返したあと、トーンダウンして、拓斗は言った。
「あの訳のわからない男に腹が立っただけだ」
「本当になにがしたいのかしら」
「よっぽど君が気に入ったんだな」
そう言われて、望晴は顔をしかめる。
(冗談じゃないわ。どうして私は変な人に好かれるのかしら)
望晴は黙り込んで、拓斗もそれ以上口を開かなかった。
三人がモールの出口に着くと、すかさず、甲斐がタクシーを止める。
「先に帰っててくれ」
「でも、由井さんたちのほうがお急ぎじゃ……」
「先方には遅れると連絡しましたので、大丈夫ですよ」
甲斐はそう言ってくれたが、望晴が遠慮していると、拓斗が渋面で言った。
「君が早く行動してくれたら、その分、僕たちも早く行ける」
急かすように言われて、望晴は慌ててタクシーに乗りこんだ。
「ベリが丘レジデンスへ行ってくれ」
拓斗が運転手に告げる。
「ありがとうございました」
彼女がお礼を言っている間にタクシーのドアが閉まり、動き出した。