本日、初恋の幼なじみと初夜を迎えます。~国際弁護士は滾る熱情で生真面目妻を陥落させる~
1.プロローグ


 どうしよう。どうしたらいい?

 さっきからずっと同じ言葉が頭をグルグルと巡っている。

 なにを今さら。自分で言い出したことじゃないの。いいかげん腹をくくりなさい、香子(きょうこ)。

 この叱責も何度目になるだろうか。
 襖を開け放てば二十畳ほどにもなる広い部屋も、部屋の露天風呂から見える深緑の山々も、こんなときでなかったら大いに楽しめたに違いない。

 どうしてあのときの私は、あんな無茶な提案を彼に持ち掛けられたのだろう。竹細工の行灯に照らされた足元を見ながらじっと考える。

 旅先の解放感? 失恋のやけ? 初恋への未練?
 あるいはその全部。

 少しでも大人っぽく見られたくてさんざん悩んだ撫子柄の浴衣は、長い間握りしめていたせいでしわが寄ってしまった。握った手の上で小さな貴石がきらりと光る。数時間前にはめられたばかりの白金のリングは誓約の証。過去の自分はどうあがいても〝妹〟から抜け出せなかったが、十年以上の歳月を経てこれから彼と結ばれるのだ。

「お待たせ」

 聞こえた声にドキッと心臓が跳ねた。
 顔を上げてすぐ、目に飛び込んできたものに胸がもう一度大きな音を立てる。

 軽く頭を下げて鴨居をくぐって来た彼は、浴衣の胸もとをくつろげて、髪はしっとりと濡れたままにしている。
 つい数時間前の一分(いちぶ)の隙も見当たらないときとは違う、匂いたつほどの色香にあふれていた。
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