本日、初恋の幼なじみと初夜を迎えます。~国際弁護士は滾る熱情で生真面目妻を陥落させる~
「いや、気乗りがしなければいいんだ。プライベートのことなのに、しつこく誘って悪かった」

 申し訳なさをにじませた声に、ハッとする。

「いや違うんです。誘われたのが嫌とかじゃなくて、えっと……行きます!」
「え?」
「ぜひ行かせてください! 私においしい出汁巻き卵を伝授してください!」

 突然前のめりになった私に、首席はまぶたを数回しばたたかさせてから、目元を緩めた。

「わかった。じゃあ、さやかにそう伝えておくよ」
「お願いします」

 隣を歩きながら庁舎を出ると、外はほんのりと青みがかっていた。どうやら日没直後のようだ。夏本番がすぐそこに迫っているような熱気はあるが、照り付ける陽ざしがないぶん昼間ほどの暑さは感じない。

「首席こそ、今日はなにかお約束でも?」

 私よりよっぽど多忙な彼が、こんなに早く帰るなんて珍しい。

「いや、約束というほどではないが……ここ数日は息子の寝顔しか見ていなくて。そのうえ、夕飯が妻の特製チキンカレーだと聞いたら、帰る以外の選択肢が思い浮かばなかったんだ」

 至極真剣な表情で言われ、我慢しきれず小さく吹き出してしまう。

「それは早く帰りたくなりますよね」

 息子さんへの溺愛はともかく、やっぱり胃袋をつかむのは大事なことだと証明された気がする。

「じゃあまた来週。お疲れ様」
「はい。お疲れ様でした」

 駐車場へ向かう首席の背中を見送り、自分は門を目指して歩く。
 やっぱり買い物して帰ろうかな。なにか簡単なものを一品くらい作ってみてもいいかもしれない。

 そう思いながら門をくぐった瞬間。

「香ちゃん」

 聞こえた声に反射的に振り向いた私は、両目を見開いた。


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