契約結婚、またの名を執愛~身も心も愛し尽くされました~
 車の扉が閉められ、極静かに発進する。
 彼が軽く手を振ってくれて、希実がまごついている間に車は路地を曲がって見えなくなった。
 それなのにいつまで経ってもその場から動けない。
 一人で暮らすようになってから、久し振りに『お休みなさい』と挨拶を交わした。
 どことなく擽ったくて、甘酸っぱい。
 落ち着かない気分は、決して嫌なものではなかった。
 新鮮でときめく。思い描けなかった『これから』の生活が微かに見えた気がした。

 ◇◇◇◇◇

 第一印象は『ハムスターみたいだな』だった。
 小柄でチョコチョコと動き、想定外のことに出くわすと大きな眼をさらに見開いて固まってしまう。
 一心不乱に回し車に乗るのに似た一所懸命さもあり、それでいて片隅で隠れてじっとしているのも好きらしい。
 何より、社員食堂で美味しそうに何かを頬張っている姿には、庇護欲を刺激された。
 安斎東雲は、昔から小動物が大好きなのである。
 三年前の入社式で見かけた佐藤希実は、東雲の愛玩欲をひどく揺さ振った。
 しかし、相手は人間。
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