契約結婚、またの名を執愛~身も心も愛し尽くされました~
「佐藤さんにとっても、悪くない話だと思いますよ。数年我慢していただけたら、遊んで暮らせる程度にお礼はします」
「お、お金の問題ではありません! 人生がかかっています。軽々しく頷けることではないでしょう」

 クラクラ眩暈がして、現実感が希薄になった。
 それくらい、東雲が醸し出す空気は異質だ。絶対に頷くべきではない。
 今すぐ彼を押し退けて逃げ出すべき。そう希実は頭では分かっているのに、手足を動かせなかった。
 四肢は麻痺してしまったかの如く、弛緩している。
 壁に寄り掛かって、辛うじて身体を支えている有様。
 彼の呼気がこちらの前髪を揺らし、騒めいた心が余計に希実の思考を鈍らせた。

「でも、今日の件が飯尾さんの耳に入れば、佐藤さんは無事で済みませんよ? とにかく一度よく検討してみてください。僕はひとまず仕事に戻ります。今日の就業後、改めて話をしましょう」

 こちらには話すことなどないと、威勢よく気炎を上げるのは脳内だけ。
 現実の希実は壁に背を預けたまま、ズルズルとその場に座り込んでいた。
 膝が嗤い、もはや自力で立っていられなくなったのだ。

「では、後ほど」

 冷たい倉庫の床に腰を下ろした希実を残し、東雲は颯爽と去っていった。
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