曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜

第八話 ノースエリアの貴婦人

 現在。
 希空はベリが丘のノースエリアにある、由緒ある高級住宅街内のとある屋敷に招かれている。

 ベリが丘駅を、海と反対の高台側の改札口を出る。
 駅を背にして左側には大使館、右側には日本屈指の大病院。

 そして目の前には櫻坂と呼ばれる坂がある。
 登り切った所には、これまた日本を代表するセレブが軒並み住んでいるとか、外国人俳優の別荘があるとか。まことしやかに囁かれる高級住宅地に、である。

 あることは知っていた。だが、所詮は別世界。
理由がなければ、希空は高台側に降りようとも考えなかったろう。
 なのに。
 どうしてだか、希空はここにいる。


◇■◇ ◇■◇

 恋人とベリが丘に住もうという話になり、理人は『気に入った物件があった』と言って、一週間後には賃貸契約を済ませてしまった。
 そこは希空も一番気に入っていたのだが、お高くて尻込みしていた案件だった。
 ……なぜか、ミカも同じマンションに越してくるという。

 おまけにミカのほうは、とっとと自分のシフトに合わせて引越し手続きを済ませてしまった。
 しかも、親友の尻を叩くために今のマンションを一ヶ月後に解約するという。
 
 焦る二人に、彼はメッセージを送ってきた。

『二人の休日を教えてくれれば、俺がおまかせ引越しパックを二人分頼んであげるよ』

 当日、訪れた引越し会社のスタッフが荷造りから荷解きまでしてくれるという、多忙な人間に嬉しい仕様である。
 理人はもちろん、希空も便乗してしまった。

 お支払いするため、希空がミカにさりげなく費用を聞き出そうとしたら、あっさりと断られた。
『二人がうまくいったお祝い』だという。

 反論する隙あらば。
『今度は俺に一緒に住みたい恋人ができたら、よろしくね』
 ウインクしているスタンプと一緒に言われては、理人と希空は引き下がるしかなかった。

「とりあえず、新居が整ったらミカを呼んで、鍋パーティをしよう」

 理人が言ってくれたので、その時にはカニとか、いい食材を発奮しようと思う。

 希空は一週間後に、理人もそれぞれ引越し日が決まった。
 転出届や転入届も準備OKの希空は、引越すまえにライフハックを確認しておこうと、ベリが丘を探検することにした。
 理人はフライトなので、寂しさを紛らわせるためでもある。

「空港に電車で一本は嬉しい。だけど、人間はそれだけじゃ生きられないもの」

 具体的には、あらゆる科を備えた病院とか。
 安いマーケットとか、あとは本屋に文房具屋に、自分の使っている銀行のできれば窓口がある支店があるといい。
 それと区役所の出張所。
 警察署と消防署もあるに越したことはない。

「……合格。さすが、ベリが丘!」

 メモを片手に街を散策していた希空は賞賛の声をあげた。
 ショッピングセンターには派出所もあったし、郵便局も入ってる。薬剤局もある。映画館も公園も揃っている。

 道路にゴミは落ちてないし、治安も良さそうだ。
 希空も理人も不定期に家をあけるし、始発前や終電近くになることが月の半分以上ある。
 用心するにこしたことはない。
 
「あとは物価だなぁ」

 幸いなことに高級食材店だけではなく、祖父の代から営んでいるという精肉店や魚屋、八百屋を見つけることができた。
 どこも新鮮かつお安い。

 おっちゃん達には、話題の街に住んでいる緊張など全くない。
「俺たちゃ、生まれた時からベリが丘に住んでんのよ」
 かっこよすぎる。

 ぐるっと回ってみて満足して——電動レンタサイクルが駅の高台側にあった——、レンタサイクルを返す。

 そろそろ家に帰ろうかなと思って駅の改札を通ろうとしたとき、うずくまっている老婦人を見つけてしまった。
 慌てて駆け寄り、声をかける。

 ……空港で働く人間はホスピタリティを叩きこまれる。
 空港及びスタッフの全ては、空港を訪れる客のために機能しているからだ。

 希空はグランドハンドリングの人間で、滑走路や駐機場(エプロン)など、『外』にいる人間だから、機長や清掃スタッフ、他の誰よりも客に接する可能性は低い。

 それでも、タキシングする飛行機を見送ったり、PBB(=passenger boarding bridge=搭乗ブリッジ)などでは、最上級に客を気遣う。

「大丈夫ですか!」
「……ありがとう」

 気丈に微笑んでくれたが、希空の手を握る婦人の手には力が入っていない。

「どこに行かれますか? お付き合いしますよ」

 提案をしたら、頷かれた。

「おことばに甘えてよろしいかしら」

 あ。この人セレブだ。
 ツイードのジャケットとタイトスカートという上品なファッション。お年を召しても、たおやかな雰囲気。
 自分なんかが声をかけてはまずかったかも。
 
 咄嗟に躊躇したが、すがるような笑みを向けられてしまう。希空は乗り掛かった船だ、と肚をくくった。

 ベリが丘の皆様、わたくしこと雲晴希空がお年寄りをいじめているように見えているかもしれませんが、実は介護しています! どうか通報しないでくださいね!

 心のなかで言い訳する。

 ようやく立ち上がった婦人は、よろよろと希空の腕に縋って歩き出した。
 
「大丈夫ですよ、ゆっくり。焦らなくていいですからね」

 低く落ち着いた声で婦人を励ましながら、段差やつまづかないよう気を配る。

「行きたいところはどこですか? 病院、それともおうちですか?」

「……外に……」

 とりあえず、駅の外へということだろうか。
 お家の方に女性を引き渡せたら、『怪しい者ではない』旨を告げて、とっとと立ち去ろう。

「奥様!」

 駅の外に出てみたら、制服をきた運転手が高級車から慌てて降りてきて、老婦人めがけて駆け寄ってきた。

 よかった。
 あの人にあとをまかせて、おいとましよう。

 しかし、腕をがっちりとホールドされている。
 婦人は小柄で愛らしいのに、どこにそんな力があるのだろう。

 けれど長身で割と筋肉がある自分が力づくで腕を取り戻そうとしたら、おそらく転ばせたりして怪我をさせてしまう。

 モタモタしているうちに、運転手が希空のことをさりげなく婦人に質問してきた。

「奥様、こちらのお嬢様は?」
「わたくしが気分を悪くしていたら助けてくださったの」

 婦人の言葉に、運転手は希空に対して最敬礼をする。

「ありがとう存じました。お礼をさせていただきますので、ぜひ当家においでください」

「そんな……、たいしたことをしておりませんので。普通のことですから。それでは」

 逆に感動されてしまう。

「なんて心ばえの美しいお嬢さんかしら! 嬉しいわ、今どきこんなお嬢さんに出会えるなんて!」

 そんな、おおげさな。

 希空は陰キャラである。
 人助けはするが、人付き合いは苦手だ。
 ぐいぐい来られると、その分逃げたくなる。

「あの、本当にお構いなく。もう家に帰りますので」

 気分は半泣きである。

「大丈夫。遅くならないうちに、時島が送っていきますからね」

 希空はギョっとする。運転手さんを呼び捨て?
 この奥様は、どれだけ偉いのか!

「もちろんでございますとも! 奥様を助けてくださったお嬢様にご恩を返さなくては!」

「え、いいです、遠慮します」

 固辞する希空を、婦人は惚れ惚れと見つめた。にっこりと微笑みかけられる。

「ほんとうに。まれに見る奥ゆかしい方ね」

 ちがいます、人見知りなだけです!
 心の中で否定する。
 
「先日こちらに帰ってきたばかりでね。ティータイムにお誘いするお友達がいなくて寂しいの」

 一転、婦人が寂しげな表情をする。

「お時間があるなら、おばあちゃんと一緒にお茶を楽しんでくださらない?」

 ううう。
 希空は自分より小さな弱そうなものに、おされると弱い。

「……す、少しだけなら……」

 とうとう車に乗ることを同意してしまう。
 スムースに動き出した車は、あろうことかどんどん櫻坂を登り始める。

 もしやと思っていたけれど、やっぱりだった! 
 登りきったら、門がある。
……なんで公共の道路に門なんてあるの。希空の頭の中をハテナマークが飛び交う。
 車は止まって運転手は窓をあける。
いかにも切れ者そうな守衛が近寄ってきて、世間話をしているではないか。

 やがて、守衛が後部座席の婦人側の窓をコンコンと叩いた。
 婦人が窓を下げる。

「これは奥様、おかえりなさいませ。ヨーロッパ周遊はいかがでしたか?」

「藤野さん、ただいま。楽しかったわ。時島」 

 運転手が守衛にお土産らしき包みを渡す。

「いつもありがとうございます」
 守衛は頭を下げると、門を開けてくれた。 

 希空の体から魂が抜け出しかかっていた。

 ……連れていかれたのは丸い塔が左右に二つある家。
 靴を履いたまま(!)、広間に案内される。

 希空は一人ぼっちにされた。不安から、ついキョロキョロしてしまう。

「……詳しいことはわからないけれど、建物と家具の雰囲気がとても素敵……」

 床材も家具も飴色に艶ぴかりしている。
 といってカーテンやソファの布地は色褪せていない。まめに布の張り替えなどしているのだろう。

 天井から垂れ下がっているシャンデリアはアンティークのようであるが、LEDに換えられているようだ。

 古きよきところはそのままだが、時代の流れは上手く取り入れている。

 かちゃり。
 扉が開いた。

「お待たせしてしまって」

 婦人が着替えて入ってきた。
 光沢のあるブラウスに真珠のネックレスとロングスカートのいでたちは、希空の想像していた上流の女性そのもの。

 後ろからスーツのジャケットを脱いでエプロンをつけた運転手がワゴンを押していた。
 アフタヌーンのケーキスタンドと、ティーポット。そしてティーカップが音もなくテーブルに置かれていく。

「お嬢様はミルクティー、レモンティ、プレーン。なにを召し上がりますか」
「……プレーンをおねがいします」

 ここまできたら、ごちそうになるしかない。
 とぽとぽとぽ……と運転手は見事な高さから、茶を手に取ったカップに注ぎ入れる。

「奥様は」
「わたくしも一杯目はプレーンでお願い」
「かしこまりました」

「さ、お召し上がりになって。クランベリーはね、冷製チキンにつけて召し上がれ。ブラックカラントは酸っぱいからクロテッドクリームと交互に口にすると、止まらなくなってしまうの」

 言われれば、綺麗な色のジャムが数種類ある。

「綺麗……!」
 
 思わず言えば婦人が嬉しそうに笑う。

「ジャムはね、ふふ。わたくしの手作り」
 
「すごい! いただきます」

 ……気がつけば、「庭になってるベリー類でジャムを作ったの。よかったらお持ちになってね」とお土産を持たされて、車に乗せられて帰宅していた。


◇■◇ ◇■◇

「……と、いうことが本日ありまして」

 時差を確認したのち希空が理人に報告すれば、難しい表情を浮かべているクマのスタンプが送られてくる。

「やっぱり軽率でしたよね」

 しゅん……と項垂れているスタンプを送る。

『いや。あの人は興味あると、すぐにお持ち帰りするし。時島さんは慣れているから、希空がちょっと抵抗したくらいじゃ、連れさられる』

 あれ? 希空は首を捻る。

「私、運転手さんの名前言いましたっけ?」

『いや……。坂道を登って、門が開いて。守衛がフジノさんて名前で……、まだ勤めてたのか……。丸い塔が二つの家……。そういえば、庭にベリー類が植えてあったな』

 希空はギョッとした。

「なんで知ってるんですか!」

『高い確率で俺の祖母だと思う』

 希空は固まった。
 理人曰く、幼い頃両親に連れられて訪れた場所と、情報が一致するのだという。

『祖母はここ数年はヨーロッパに行ってると聞いてたが、帰ってきたんだな。……まさか、あの家がベリが丘にあるとは思ってもみなかった』

 守衛が言っていたことと合致する。
 希空はさーと青くなった。

「わ、私。お祖母様に粗相を……!」

 だめだ。嫌われた。庶民でお茶の作法も知らないダメなやつと思われた。結婚する前に終わった。儚い夢だった……!
 メソメソしていると、よしよししているクマが送られてきた。

『いや、祖母がお茶会に招ぶのは気に入った証拠。ベリージャムのお土産付は最高のお気に入りの証拠だから』

 フォローしてくれたが、今日一番のショックに希空はしばらく立ち直れなかった。



◇■◇ ◇■◇

 ……一週間後。
 希空が中番で帰ってきたら、寮の前に運転手付の車が止まっていた。
 拉致されて。否、理人の祖母宅に再び連れて行かれ。

『世間て狭いのね! まさか理人の婚約者さんだなんて』

 ニコニコした彼の祖母に呼びつけられ、違った、招待された。

『今日は一柳家のガールズ勢揃いトークよ。楽しみましょうね』

 呆然とした彼女が周りを見ると、理人の母と理人の二人の兄嫁が勢揃いしており、希空は卒倒しかけたのだった。
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