曇りのち晴れ、SWAN航空幸せ行き〜奥様はエリートパイロットともう一度愛しあう〜
第六章 曇りのち晴れ
第一話 ツインタワー・レセプション
……一時間後。
希空は夫の一柳理人機長と合流して、ベリが丘はビジネスエリアにある、ツインタワーのVIP会員制の専用ラウンジに訪れていた。
今日は、ラウンジを理人の勤務先であり日本の大手航空会社であるスカイ・ワールド・エア・ニッポン(SWAN)が貸し切り、ヘルシンキ直行デイリー(週七便)十周年記念のレセプションが開かれている。
会場には、SWANの役員達がそれぞれ夫人を同伴して参列していた。
理人の父たるオーナーや経営陣の兄達もそれぞれパートナーを連れてきたので、一柳ファミリー勢揃いといったところである。
各々、ゴージャスな室内に負けないほど華やかな装いで、希空達もしかり。
夫の理人は光沢のあるダークグレー色のファンシータキシード。ボトムは黒にするものだがトップと同じ色の生地にしたことで、ほど良い外し感を作っている。
彼の上背と相まって均整の取れた体型は、男らしくも端正な顔つきと相乗効果で、モデルか俳優のようにも見せている。
二人が会場に現れた瞬間、日本人女性だけではなく外国の女性陣からも、ちらちらと熱いまなざしを向けられていた。
そして理人がピッタリと寄り添っている妻、希空は上品なワインカラーのドレスを見事に着こなしている。
彼女が動くたび、サイドスリットから同色のレースがチラチラと見えるのがセクシーだ。
ワンショルダーでノースリーブだが、スリットと同じレースで作られた長い手袋を両手に嵌めている。
伸ばし始めた髪はポニーテールにして、テールは巻いている。
イヤリングはアシンメトリーなタイプで、ショルダーがないほうの肩には長く垂れ下がり、クリスタルとダイヤが照明を受けて、きらきららと反射する。
一方で、ショルダーがあるほうは大粒のダイヤモンドが耳たぶで光っている。
露出は少ないものの、マーメイドラインのシルエットが彼女の素晴らしいプロポーションを引き立てていて、彼女は男性の目を集めていた。
「……失敗したな」
理人の、苛立ちを孕んだ微かな声に希空は視線を上げた。
美麗な顔立ちにビジネススマイルを貼り付けている夫の表情は、誰にもわからないだろうが不機嫌である。
途端、希空は緊張していたのに、さらに怯えてしまった。
「今日も希空には関係ないビジネスだが、我慢してくれ」
希空にしか聞こえないように囁かれた。
しかし『関係ない』と言われてしまい、彼の妻だということをよすがにしている彼女を孤独に突き飛ばす。
硬質な表情になってしまった妻を気遣いながら、理人は彼女を守ってくれる己の家族達の所へ連れていく。
理人達がファミリーに近づくと、希空は早速義母や義姉達に囲まれた。
理人は一柳家のアイドルである希空が笑っているのを見届けてから、会場を兄達と回遊することにした。
その姿を見て、密やかな会話がそこここに生まれる。
「あの長身美女を連れて登場した男は誰だ? SWANのアンバサダーかなにかか?」
「知らないのか? オーナーファミリーの三男坊で看板パイロット。彼こそデイリー運行を実行させた立役者だぞ」
理人が兄達と連れ立って、希空の元に帰ってきた。
戻ってきた義兄達はそれぞれのパートナーにぴたり寄り添い、笑みを交わす。……互いへの信頼と確かな愛情が見てとれて、希空は羨ましい。
「希空。挨拶に付き合ってくれ」
理人に声をかけられ、彼女は了承する。
夫婦がゆったりと会場内を回遊すれば、瞬く間に人の輪に囲まれた。
希空と理人は二人とも頭一つ抜きんでている。
硬質な笑みの下で希空は怯えていた。
元々、華やいだ席は苦手なのだ。
理人も、己の手の下の妻の体がさらにこわばったのを察したのかもしれない。希空の腰に添えられた夫の手に力がこもった。
「頑張って」
励まそうとした夫の言葉は、希空には届かない。
「理人、希空!」
内心ギクシャクしていた二人に、英語で陽気な声がかかった。
理人が希空の腰を抱いたまま、パッと声のした方向に顔を向けた。
貼り付けていたビジネススマイルから明るい表情になる。
「ミカ!」
フィンランド人パイロットのミカ・ライネ機長。
十年前、理人がアメリカのパイロット養成所で同時期に学んだ男性である。
彼と知り合ったことがきっかけで、ミカの母国と日本がどうやってかかわっていくべきかのデザインを考えるようになった。
理人は多忙なパイロット訓練が続く日々の合間、メリットと将来の展望についてデイリー運航を上層部に訴えた。
今ではアメリカやイギリスと並んだ、SWANの看板航路だ。
ミカは理人とがしっと腕を交差したあと、希空に向き合い、両手を広げた。
「やあ、希空! 相変わらずゴージャスだね」
周囲にかすかなどよめきがはしる。
希空がとても柔らかく、はにかんだからだ。妻を見守っていた理人の表情がわずかに翳る。
「ミカさん、ご無沙汰してました」
彼女も流暢な英語で応じる。
理人が二人の会話に混ざろうとしたところ、SWAN上層部に呼ばれた。理人はちらと希空と親友を見たのち、諦めたようにその場を離れる。
ミカは理人を見送ると、呆れたように肩をすくめた。
「やれやれ。理人は相変わらず希空が絡むと、親友相手にも心が狭いな」
美空が首を振ると、綺麗に整えた髪と長いイヤリングが揺れた。
「どちらかといえば、ミカさんと一緒にいられないのが嫌なんだと思います」
ミカは立てた人差し指をちちち……と横に動かす。
「俺にそんな誤魔化しは効かないよ。理人は美空のドレスと同じ色をポケットチーフにしているし、美空だって理人のスーツと同じ色のヒールじゃないか!」
夫の親友の言葉に、希空は寂しい笑みを浮かべる。
「ねえ、希空。大丈夫?」
「大丈夫ってなにがですか。私は絶好調ですよ?」
心配そうにミカが声を掛ければ、希空はまた無表情になる。
そこへ大慌てで理人が戻ってきた。
「希空、きみのナイトが戻ってきたよ。また、俺の乗ったシップが『空の女神』に押してもらえるのを、心より待ち望んでいる」
「なんですか、その大袈裟な名前」
希空が柔らかくなったで、今度こそミカは笑みを浮かべ、理人に片手でタッチしてから去っていった。
理人が希空の腰を抱いたところで、フィンランド大使がマイクの前に立った。
「ポーラールートと二国の友情を、これからも大切にしていきたい」
賛同の拍手で、レセプションは終わった。
帰りのタクシーの中で二人は一言も口を聞かない。
沈黙の中、希空はますます萎縮していく。
ベリーダンスを初めてから、希空はメイクもファッションも頑張っている。
今日のドレスもなかなか似合っているんじゃないかと自分では思っていた。
夫が惚れ惚れとした目で自分を見つめてくれるのではないかとワクワクしていた。
でも。
今日もちら、と見ただけで目を逸らされてしまった。密かに抱いていた期待は、見事に裏切られた。
もう自分がどんなに着飾っても、理人の心には響かないのだ……と希空は苦い思いを噛み締める。
利害が一致しているのなら見合いも政略結婚もありだろうけれど、自分達の婚姻は理人にちっとも利をもたらさなかった。
いざとなったら理人は一人でも道を切り拓ける人だと考えている。
早く、一分でも早く『自分を捨てていいよ、自由になって』と言ってあげなければならない。なのに、どうしても希空は言えない。
今日も、既婚者なのに理人はとてもモテていた。
『ねえ、一柳機長。わたくしのために、シャンパンをとってきてくださらない?』
あからさまにしなだれかかってくる女性。
彼ほどの美しい容姿と将来を約束されたエリートパイロットなら、結婚指輪をしていても関係ないらしい。女性達は希空が傍らに居ても群がってくる。
『ボーイに持って来させましょう』
けれど、理人は希空に義理立てして、そんな女性達と一切遊ばない。
愛されていないとはいえ、彼が操を立ててくれるのは嬉しい。
理人は自分だけのものだと、薄暗い喜びを感じてしまい、とても後めたい。同時に、彼の誠実さが、泣きたくなるほど申し訳ない。
誠実な理人。
希空はそんな彼が眩しい。そして、ますます自分は彼に釣り合っていないと落ち込んでしまう。
理人は妻に声をかけるでもなく、窓の外をじっと見ている。
……希空は、夫が窓ガラスに映った自分を見ているとは想像もしてない。
ツインタワーから車で十五分も走ると、サウスエリアにある二人の自宅に到着する。
時間はまだ二十時。……もう、というべきか。
「お疲れ」
玄関のドアの鍵を開けながら、理人が希空に声をかけた。
希空はううん、と首を振りながら、夫を労う。
「理人さんも」
「希空」
あらたまった口調に、あからさまに美空の体がびくりと跳ねた。
二人の間に妙な緊張が走る。理人がぼそりと言う。
「……明日、俺は九時四十五分までに空港入りすればいい。希空は始発の飛行機のプッシュからだろ、送っていくよ」
「え……?」
希空は自分のスケジュールを夫が知っていることが驚きだった。
シフトが確定すると互いにPDFを送るのは習慣となって居たけれど、最近の理人が見てくれているとは思っていなかった。
自分は理人のシフトを穴のあくほどに眺めて、プッシュするときに彼の機体であることを願っていたが。
「希空?」
理人が窺うように言ってきて、彼女は慌てて笑顔を作った。
「ありがとう。でも、お気持ちだけで十分。きちんと睡眠を取って」
「……ああ」
理人はくしゃりと髪を乱した。
希空はそそくさと自室代わりに使っている、サービスルームに戻る。
「じゃあ、先にシャワー借りるね」
本当は一分でも長く、彼の隣にいたい。
けれど、義務で自分と一緒にいてくれる理人に申し訳ない。
希空がシャワーを浴びていると、バスルームのドアが開く。
彼女が体をびくりとさせていると、理人が入ってきた。
「さっきのレセプションで汗かいた。一緒に入らせてもらう」
希空は目を見張った。夫の体の中央にある欲が、そそりたっている。
妻の視線を受け止めながら、理人は彼女に告げた。
「希空がほしい。抱きたい」
言うなり、希空に反論を許さず、彼女をかきいだく。唇を合わせてきたと思ったら、激しく貪り始める。
「ン!」
希空は抵抗することができない。
愛されていなくても、自分は理人のことが大好きなのだ。彼に愛される機会を自分から無くすことはできない。
妻が無抵抗だと分かったせいか、夫の手が忙しなく淫らに希空の体を這い回る。
「……あ……」
彼女の口からあえかな声が漏れる。
理人はさらに煽り立てるよう、希空の太もものあいまに己の足を割り込ませてきた。
そのまま己の脚で彼女の敏感なあわいに刺激を加えてくる。
「今日の希空があまりに綺麗で、ずっと欲しかった」
言葉が熱い息とともに耳に吹き込まれる。
希空は閉じかけていた瞼を上げた。
快感で蕩けている頭では、彼の言葉を理解できない。
「希空が綺麗に見えるデザインを選んだけど……、俺だけの君を他の男に見せるんじゃなかった、『失敗』したよ」
夫の瞳に欲と熱が宿っているのが嬉しい。
つられて、自分の体にも熱が広がっていく。
「ふ……ぅん……」
希空の体が否応なく夫に与えられた熱でとろけていく。足腰から力が入らなくなったら腕を彼の首に巻きつかせられた。
理人は希空の腰を掴むと、熱い欲望を押しつけてくる。
「あ」
夫が自分の体で興奮してくれていることが希空にはなによりも嬉しい。
「希空の中に入りたい」
夫が強請ってきた。希空はうん、と彼の肩に頭を預けながら頷く。
「俺を拒まないでくれ」
イエスの返事に気づかなかったのか、再び希われる。
貫かれて、彼女は悦びの声を上げる。揺すぶられて、しばらくしてからの記憶がない。
目が覚めると、夫婦の寝室だった。
キングサイズのベッドの中で二人は裸のまま、ぴったりと寄り添っている。
理人の腕の中で眠ってしまった幸せを噛み締めながら、希空はそっと時間を確認する。
四時だった。今から三十分後の始発に乗る。
希空の今日の予定は、朝一番に東京を出る飛行機のプッシュからだ。
そうっと自分の体を抱き寄せていた理人の腕を外してベッドの外に移動しようとする。
ぐい、と抱き寄せられた。
「俺を置いて、どこに行くの。どうして最近の君は冷たいんだ? もう俺を愛してないのか」
寝ぼけているのかもしれない。
希空は見えないだろうと思いながら夫に微笑む。
「I Love you.Hope you have a wonderful day」
ちゅ、と理人の頬にキスを贈って部屋をでる。
彼女がそっとドアを閉じてでていったあと、理人は固まったまま目をまんまるくしていた。
「……俺は。もしかしたら彼女に愛されているのか?」
希空は夫の一柳理人機長と合流して、ベリが丘はビジネスエリアにある、ツインタワーのVIP会員制の専用ラウンジに訪れていた。
今日は、ラウンジを理人の勤務先であり日本の大手航空会社であるスカイ・ワールド・エア・ニッポン(SWAN)が貸し切り、ヘルシンキ直行デイリー(週七便)十周年記念のレセプションが開かれている。
会場には、SWANの役員達がそれぞれ夫人を同伴して参列していた。
理人の父たるオーナーや経営陣の兄達もそれぞれパートナーを連れてきたので、一柳ファミリー勢揃いといったところである。
各々、ゴージャスな室内に負けないほど華やかな装いで、希空達もしかり。
夫の理人は光沢のあるダークグレー色のファンシータキシード。ボトムは黒にするものだがトップと同じ色の生地にしたことで、ほど良い外し感を作っている。
彼の上背と相まって均整の取れた体型は、男らしくも端正な顔つきと相乗効果で、モデルか俳優のようにも見せている。
二人が会場に現れた瞬間、日本人女性だけではなく外国の女性陣からも、ちらちらと熱いまなざしを向けられていた。
そして理人がピッタリと寄り添っている妻、希空は上品なワインカラーのドレスを見事に着こなしている。
彼女が動くたび、サイドスリットから同色のレースがチラチラと見えるのがセクシーだ。
ワンショルダーでノースリーブだが、スリットと同じレースで作られた長い手袋を両手に嵌めている。
伸ばし始めた髪はポニーテールにして、テールは巻いている。
イヤリングはアシンメトリーなタイプで、ショルダーがないほうの肩には長く垂れ下がり、クリスタルとダイヤが照明を受けて、きらきららと反射する。
一方で、ショルダーがあるほうは大粒のダイヤモンドが耳たぶで光っている。
露出は少ないものの、マーメイドラインのシルエットが彼女の素晴らしいプロポーションを引き立てていて、彼女は男性の目を集めていた。
「……失敗したな」
理人の、苛立ちを孕んだ微かな声に希空は視線を上げた。
美麗な顔立ちにビジネススマイルを貼り付けている夫の表情は、誰にもわからないだろうが不機嫌である。
途端、希空は緊張していたのに、さらに怯えてしまった。
「今日も希空には関係ないビジネスだが、我慢してくれ」
希空にしか聞こえないように囁かれた。
しかし『関係ない』と言われてしまい、彼の妻だということをよすがにしている彼女を孤独に突き飛ばす。
硬質な表情になってしまった妻を気遣いながら、理人は彼女を守ってくれる己の家族達の所へ連れていく。
理人達がファミリーに近づくと、希空は早速義母や義姉達に囲まれた。
理人は一柳家のアイドルである希空が笑っているのを見届けてから、会場を兄達と回遊することにした。
その姿を見て、密やかな会話がそこここに生まれる。
「あの長身美女を連れて登場した男は誰だ? SWANのアンバサダーかなにかか?」
「知らないのか? オーナーファミリーの三男坊で看板パイロット。彼こそデイリー運行を実行させた立役者だぞ」
理人が兄達と連れ立って、希空の元に帰ってきた。
戻ってきた義兄達はそれぞれのパートナーにぴたり寄り添い、笑みを交わす。……互いへの信頼と確かな愛情が見てとれて、希空は羨ましい。
「希空。挨拶に付き合ってくれ」
理人に声をかけられ、彼女は了承する。
夫婦がゆったりと会場内を回遊すれば、瞬く間に人の輪に囲まれた。
希空と理人は二人とも頭一つ抜きんでている。
硬質な笑みの下で希空は怯えていた。
元々、華やいだ席は苦手なのだ。
理人も、己の手の下の妻の体がさらにこわばったのを察したのかもしれない。希空の腰に添えられた夫の手に力がこもった。
「頑張って」
励まそうとした夫の言葉は、希空には届かない。
「理人、希空!」
内心ギクシャクしていた二人に、英語で陽気な声がかかった。
理人が希空の腰を抱いたまま、パッと声のした方向に顔を向けた。
貼り付けていたビジネススマイルから明るい表情になる。
「ミカ!」
フィンランド人パイロットのミカ・ライネ機長。
十年前、理人がアメリカのパイロット養成所で同時期に学んだ男性である。
彼と知り合ったことがきっかけで、ミカの母国と日本がどうやってかかわっていくべきかのデザインを考えるようになった。
理人は多忙なパイロット訓練が続く日々の合間、メリットと将来の展望についてデイリー運航を上層部に訴えた。
今ではアメリカやイギリスと並んだ、SWANの看板航路だ。
ミカは理人とがしっと腕を交差したあと、希空に向き合い、両手を広げた。
「やあ、希空! 相変わらずゴージャスだね」
周囲にかすかなどよめきがはしる。
希空がとても柔らかく、はにかんだからだ。妻を見守っていた理人の表情がわずかに翳る。
「ミカさん、ご無沙汰してました」
彼女も流暢な英語で応じる。
理人が二人の会話に混ざろうとしたところ、SWAN上層部に呼ばれた。理人はちらと希空と親友を見たのち、諦めたようにその場を離れる。
ミカは理人を見送ると、呆れたように肩をすくめた。
「やれやれ。理人は相変わらず希空が絡むと、親友相手にも心が狭いな」
美空が首を振ると、綺麗に整えた髪と長いイヤリングが揺れた。
「どちらかといえば、ミカさんと一緒にいられないのが嫌なんだと思います」
ミカは立てた人差し指をちちち……と横に動かす。
「俺にそんな誤魔化しは効かないよ。理人は美空のドレスと同じ色をポケットチーフにしているし、美空だって理人のスーツと同じ色のヒールじゃないか!」
夫の親友の言葉に、希空は寂しい笑みを浮かべる。
「ねえ、希空。大丈夫?」
「大丈夫ってなにがですか。私は絶好調ですよ?」
心配そうにミカが声を掛ければ、希空はまた無表情になる。
そこへ大慌てで理人が戻ってきた。
「希空、きみのナイトが戻ってきたよ。また、俺の乗ったシップが『空の女神』に押してもらえるのを、心より待ち望んでいる」
「なんですか、その大袈裟な名前」
希空が柔らかくなったで、今度こそミカは笑みを浮かべ、理人に片手でタッチしてから去っていった。
理人が希空の腰を抱いたところで、フィンランド大使がマイクの前に立った。
「ポーラールートと二国の友情を、これからも大切にしていきたい」
賛同の拍手で、レセプションは終わった。
帰りのタクシーの中で二人は一言も口を聞かない。
沈黙の中、希空はますます萎縮していく。
ベリーダンスを初めてから、希空はメイクもファッションも頑張っている。
今日のドレスもなかなか似合っているんじゃないかと自分では思っていた。
夫が惚れ惚れとした目で自分を見つめてくれるのではないかとワクワクしていた。
でも。
今日もちら、と見ただけで目を逸らされてしまった。密かに抱いていた期待は、見事に裏切られた。
もう自分がどんなに着飾っても、理人の心には響かないのだ……と希空は苦い思いを噛み締める。
利害が一致しているのなら見合いも政略結婚もありだろうけれど、自分達の婚姻は理人にちっとも利をもたらさなかった。
いざとなったら理人は一人でも道を切り拓ける人だと考えている。
早く、一分でも早く『自分を捨てていいよ、自由になって』と言ってあげなければならない。なのに、どうしても希空は言えない。
今日も、既婚者なのに理人はとてもモテていた。
『ねえ、一柳機長。わたくしのために、シャンパンをとってきてくださらない?』
あからさまにしなだれかかってくる女性。
彼ほどの美しい容姿と将来を約束されたエリートパイロットなら、結婚指輪をしていても関係ないらしい。女性達は希空が傍らに居ても群がってくる。
『ボーイに持って来させましょう』
けれど、理人は希空に義理立てして、そんな女性達と一切遊ばない。
愛されていないとはいえ、彼が操を立ててくれるのは嬉しい。
理人は自分だけのものだと、薄暗い喜びを感じてしまい、とても後めたい。同時に、彼の誠実さが、泣きたくなるほど申し訳ない。
誠実な理人。
希空はそんな彼が眩しい。そして、ますます自分は彼に釣り合っていないと落ち込んでしまう。
理人は妻に声をかけるでもなく、窓の外をじっと見ている。
……希空は、夫が窓ガラスに映った自分を見ているとは想像もしてない。
ツインタワーから車で十五分も走ると、サウスエリアにある二人の自宅に到着する。
時間はまだ二十時。……もう、というべきか。
「お疲れ」
玄関のドアの鍵を開けながら、理人が希空に声をかけた。
希空はううん、と首を振りながら、夫を労う。
「理人さんも」
「希空」
あらたまった口調に、あからさまに美空の体がびくりと跳ねた。
二人の間に妙な緊張が走る。理人がぼそりと言う。
「……明日、俺は九時四十五分までに空港入りすればいい。希空は始発の飛行機のプッシュからだろ、送っていくよ」
「え……?」
希空は自分のスケジュールを夫が知っていることが驚きだった。
シフトが確定すると互いにPDFを送るのは習慣となって居たけれど、最近の理人が見てくれているとは思っていなかった。
自分は理人のシフトを穴のあくほどに眺めて、プッシュするときに彼の機体であることを願っていたが。
「希空?」
理人が窺うように言ってきて、彼女は慌てて笑顔を作った。
「ありがとう。でも、お気持ちだけで十分。きちんと睡眠を取って」
「……ああ」
理人はくしゃりと髪を乱した。
希空はそそくさと自室代わりに使っている、サービスルームに戻る。
「じゃあ、先にシャワー借りるね」
本当は一分でも長く、彼の隣にいたい。
けれど、義務で自分と一緒にいてくれる理人に申し訳ない。
希空がシャワーを浴びていると、バスルームのドアが開く。
彼女が体をびくりとさせていると、理人が入ってきた。
「さっきのレセプションで汗かいた。一緒に入らせてもらう」
希空は目を見張った。夫の体の中央にある欲が、そそりたっている。
妻の視線を受け止めながら、理人は彼女に告げた。
「希空がほしい。抱きたい」
言うなり、希空に反論を許さず、彼女をかきいだく。唇を合わせてきたと思ったら、激しく貪り始める。
「ン!」
希空は抵抗することができない。
愛されていなくても、自分は理人のことが大好きなのだ。彼に愛される機会を自分から無くすことはできない。
妻が無抵抗だと分かったせいか、夫の手が忙しなく淫らに希空の体を這い回る。
「……あ……」
彼女の口からあえかな声が漏れる。
理人はさらに煽り立てるよう、希空の太もものあいまに己の足を割り込ませてきた。
そのまま己の脚で彼女の敏感なあわいに刺激を加えてくる。
「今日の希空があまりに綺麗で、ずっと欲しかった」
言葉が熱い息とともに耳に吹き込まれる。
希空は閉じかけていた瞼を上げた。
快感で蕩けている頭では、彼の言葉を理解できない。
「希空が綺麗に見えるデザインを選んだけど……、俺だけの君を他の男に見せるんじゃなかった、『失敗』したよ」
夫の瞳に欲と熱が宿っているのが嬉しい。
つられて、自分の体にも熱が広がっていく。
「ふ……ぅん……」
希空の体が否応なく夫に与えられた熱でとろけていく。足腰から力が入らなくなったら腕を彼の首に巻きつかせられた。
理人は希空の腰を掴むと、熱い欲望を押しつけてくる。
「あ」
夫が自分の体で興奮してくれていることが希空にはなによりも嬉しい。
「希空の中に入りたい」
夫が強請ってきた。希空はうん、と彼の肩に頭を預けながら頷く。
「俺を拒まないでくれ」
イエスの返事に気づかなかったのか、再び希われる。
貫かれて、彼女は悦びの声を上げる。揺すぶられて、しばらくしてからの記憶がない。
目が覚めると、夫婦の寝室だった。
キングサイズのベッドの中で二人は裸のまま、ぴったりと寄り添っている。
理人の腕の中で眠ってしまった幸せを噛み締めながら、希空はそっと時間を確認する。
四時だった。今から三十分後の始発に乗る。
希空の今日の予定は、朝一番に東京を出る飛行機のプッシュからだ。
そうっと自分の体を抱き寄せていた理人の腕を外してベッドの外に移動しようとする。
ぐい、と抱き寄せられた。
「俺を置いて、どこに行くの。どうして最近の君は冷たいんだ? もう俺を愛してないのか」
寝ぼけているのかもしれない。
希空は見えないだろうと思いながら夫に微笑む。
「I Love you.Hope you have a wonderful day」
ちゅ、と理人の頬にキスを贈って部屋をでる。
彼女がそっとドアを閉じてでていったあと、理人は固まったまま目をまんまるくしていた。
「……俺は。もしかしたら彼女に愛されているのか?」