立ち止まって、振り向いて
試合が終わり、ロビー画面に戻って来たところで、野島さんがボイスチャットツールに何かを書き込み、ヘッドセットを外してから、椅子ごとこちらを振り返った。
「勝った、お待たせ」
「いえいえ。大丈夫ですよ、もう一戦」
「いや、ちょっと離席するって言っておいた」
「お気になさらず」
「いや、ちゃんと話を聞かないと集中できない」
「同僚の私生活を問いただすおつもりで?」
「いやいや、気になるような言動を取った小山くんと葵ちゃんが悪い!」
気になろうが何だろうが、わたしたちが付き合っていないことに変わりはない。
確かに自宅マンションには頻繁にお邪魔している。平日でも休日でも、時間が合えば夕飯を作って、一緒に食べたりもしている。映画にも行くし、洗濯をしたりごろごろしたり、オンラインゲームで遊んでいるのを隣で見ていたりもする。それくらいだ。
「野島さんだって知ってますよね、あの人ゲームをしていると、食事も睡眠も取らないんですよ。気が向いたときに食べるのは、ハンバーガーやピザばっかり」
「うん、知ってる……」
「普通に考えて、身体に良くないじゃないですか。うちの会社にいたときからちょっとまずい生活をしているなって思っていたけど、ついに血尿が出て胃潰瘍になって転職したのに」
「それはそう」
「転職しても結局ゲームなんですもん。ほっといたら絶対孤独死しますよ」
「そうなんだよねえ……」
小山桂輔さんは、うちの会社に常駐するシステムエンジニアだった。
仕事で関わることはなかったけれど、休憩室で度々顔を合わせているうちに、会釈をするようになり、挨拶をするようになり、雑談をするようになった。
切れ長の目に顎髭を生やし、常にローテンションの彼はなかなか近寄り難い雰囲気ではあるけれど、物知りで、話せば楽しい人だった。
わたしより五歳年上の三十三歳で、身長は百八十センチもあるのに、猫より丸い猫背のせいでそんな風に見えない容貌をしている。けれどSEとしての技術も、コンピュータの知識も、誰よりも多く持っている人だと、同じく休憩室で仲良くなったらしい野島さん経由で聞いた。
そして彼はゲーマーでもあった。システム開発という多忙な日々を送っていたとしてもゲームはしたい。その結果、食事も睡眠も掃除も洗濯も入浴も後回しになり、ついには身体を壊した。
会社で会うたび「顔色が悪いなあ」と思っていたけれど、一段と悪い日に声をかけたら「なんか血尿出たわ」なんて言い出した。受診と検査を勧めたけれど、多忙の小山さんはそれすら後回しにし、ついに胃と腎臓をやられて倒れてしまった。
入院先の病院にお見舞いに行ったら「今の仕事が一段落ついたら退職するわ」と言うから大賛成したというのに、「ゲームする時間が取れるところに転職する」と言うから大激怒した。
そしてその勢いのまま、「連絡先を教えてください、小山さんがまた倒れて孤独死していたらいやなので、たまにご飯を作りに行きます」と押し切ったのだった。小山さんはベッドの上でぽかんとしたのち「あはは」と笑って、連絡先を教えてくれた。
間もなく小山さんはうちの会社での仕事を終え、外部からの常駐SEとしてではなく、社内SEとして、別の会社に再就職した。社内SEは自社内でのシステム開発を行っているためわりと融通が利くらしく、彼はようやく「健康的な生活」を手に入れた。
かと思われたが。どこまでいっても小山さんは小山さんである。多忙から解放されて頭がすっきりしたのか、曰く「集中力が増してめっちゃ勝てる」とのこと。勿論ゲームのことである。
以前より睡眠時間も食事の量も増えているとはいえ、定期的に確認に行かなければ、安心してひたすらゲーム三昧の日々を送るだろう。それを防ぐために食事を作りに行くし、たまには日光を浴びさせようと外に連れ出すし、着替えがなくなるとすぐに新しく買おうとするから洗濯をして、埃を吸い込んで病気にならないよう掃除もするのだ。
小山さんにとってわたしは、小言のうるさいお母ちゃん、のようなものだろう。
だから野島さんが考えているような「何か」は、何もない。本当に、何もないのだ。悲しいくらいに……。