立ち止まって、振り向いて

 さて。あまり長居しても、野島さんを困らせるだけだ。これ以上居座って、野島さんがまた「地元に帰る」なんて言い出したら大変だ。

 そろそろお暇しようと腰を上げかけた、とき。けたけた笑いながらパソコンに向き直った野島さんが「は、」と笑い声を切って黙り込み、次に「スー……」と空気が抜けたような音を出した。
 そして、油でもさしたほうが良いのではないかと思うくらいぎこちなく、ギギギギと効果音が聞こえてきそうなほど下手くそに振り向いた。表情は笑っていたけれど、目にはもう生気を感じられなかった。

「どうしたんですか?」
「あ、あの、葵ちゃん……その……」

 みるみるうちに顔を青くさせる野島さんは、これまたぎこちなく右手を挙げ、パソコンのモニターを指差す。指先は、どうしようもないくらい震えていた。

 不思議に思って立ち上がり、野島さんの隣まで行ってモニターを覗き込む。
 どうやらボイスチャットツール経由で、小山さんからメッセージが届いたらしい。その内容は「葵がご迷惑をおかけしました。タクシーを手配しておいたので、葵を放り込んで、俺の部屋まで輸送してください」というものだった。

「な、な、なんで葵ちゃんがうちにいるって……もしかして葵ちゃん、小山くんに……?」
「言ってませんよ。今日はメッセージのやり取りもしてませんし」
「じゃあGPSとか仕込まれてない?」
「まさか」

 野島さんは「あのコンピュータ男ならやりかねん」「独占欲こわ」「地元帰ろかな」と怯え切った様子だったけれど、小山さんは空気読みに長けているから、ただ単に察してしまったのだろうと思った。
 そりゃあわたしが訪ねるまでボイスチャットをしていたわけだし、それが来客で中断され、しかもミュートが解除されないままゲームが再開されたのなら、「小山くんに知られたくない異性の客が訪ねて来て居座っているが、ゲームは出来る状態である」と分かるだろう。

 すぐにボイスチャットツールに新しいメッセージが届き、野島さんが「ひぃっ!」と甲高い悲鳴を上げる。
 新しいメッセージは、わたし宛てだった。「葵、タクシーもう来る。タクシー代は俺が出すから早く来い」とのことだけれど、なぜわざわざ野島さんとのボイスチャットツールに書くのか。わたしに直接メッセージを送ればいいだけの話なのに。

 小山さんも小山さんで不思議な人だな、と思いつつ、怯える野島さんの肩を叩いて励まして、今度こそお暇しよう。

「野島さん、ピザ、かっちかちになる前に食べてくださいね」
「あ、葵ちゃんこそ、ちゃんと小山くんに言っておいてね、僕らは本当に、本当に何にもしていない。僕はゲームをしていて、葵ちゃんは後ろに座って観ていて、ちょっとだけ話をしただけだって。来てから三十分も経っていないって」
「はいはい、伝えます」
「頼むからね!」

 心配性の野島さんの肩をもう一度たたいて励まして、わたしはこの、築年数がわたしの年齢よりも上の木造アパートの一階、一〇三号室を後にした。


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