愛しているから、結婚はお断りします~エリート御曹司は薄幸令嬢への一途愛を諦めない~【試し読み】



 三月の下旬。目黒川沿いの桜は満開手前といったところで、行き交う人々の目を楽しませている。週末からは桜まつりが行われるのか、ピンク色の提灯が今年もあちこちに見受けられた。

 そんな中、私は人の波をすり抜けるように早足で目的地に向かっている。

 ――お母さん……お母さん。

 母のかかりつけの病院から連絡があったのは、十七時過ぎ。ちょうど派遣社員として働いている職場で仕事を終え、パソコンの電源を落とすと同時だった。

 外出先で倒れた母だったが、かかりつけ医のいる病院の近くだったことで、そのまま救急車でいつもの病院に搬送された。すぐに処置をしてもらえたのは不幸中の幸いで、命にかかわるような状態ではないらしい。

 ここ数年、こんなことを繰り返している。母の心臓はこれ以上よくなることはなく、なんとか現状を維持することで精いっぱいだ。

 何度経験したって母が倒れたと聞くと、血の気が引いてしまう。しかし弱気になっては、母を支えることはできない。

 震える手で電話を切って、急いで病院に向かった。

 病院に到着すると、母はすでに病室にて眠っていた。顔は青白く、点滴の刺さった腕は細くて頼りない。何度経験しても元気だった頃の母を思い出して目頭が熱くなる。

 ダメ、こんなことで泣いてちゃ。

 まずは、アルバイト先に電話しないと。

 落ち着いている母を確認した後、私はロビーに向かった。

 スマートフォンの画面には、アルバイト先である居酒屋の電話番号が表示されている。通話ボタンをタップすると、すぐに電話が店長に繋がった。

 「音羽です。店長、母の容態が悪くて……今日お休みさせてください」

 《はぁ、またなの? 困るよ。団体の予約が入っているのに》

 不機嫌な声色に心苦しさが増す。いつもぎりぎりの人数でやっているので、ひとり抜けると大変なのは私も理解している。しかしこの後いつ母が目覚めるかもわからず、入院の手続きや先生の話などがあるので、どう考えても出勤できそうにない。

 「ご迷惑をおかけしているのは承知しております。申し訳ありません」

 電話を片手に、ぺこぺこと頭を下げる。相手に見えるはずないのに。
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