おいで、Kitty cat
隣の仔猫



にっこりなんて、簡単だよ。
もう三十年以上、生きてきたんだもん。

ムカついても笑えるし、泣きたくても涙なんか一滴も溢さない。
怒鳴りたくても無音でいられるし、ほくそ笑みたくても口角は上がらず、きゅっと一文字。
大人のマナーと一般常識は、この堅苦しい世界で私を生き延びさせてくれた。
それが私だけではないことは、心強くも余計に息苦しくもある。

これって、ものすごく普通なの。

――だから、誰も気づかない。






・・・





くたくただった。
いつものことだけど、それでもやっぱり参ってたんだと思う。
少なくとも、正常な判断ができなかった――ううん。


(……いっか。万が一にも、その時はその時)


そんなこと、思えるくらい。


「……? こ、んばんは」


ふらふらとした足取りで階段を上って、すぐの部屋。
さっさと鍵を開けるなり靴をぬぎ散らかしたかったのに、大きくて邪魔な通せんぼ。

一応声をかけたけど、挨拶じゃなかった。
本来の「こんばんは」の意味というよりは、「他人の部屋の前で何を? 」か「どいてくれます? 」にすごく寄っていた。
だから、けして感じのいい態度じゃなかったはずなのに、その男の子はかなり丁寧にお辞儀をしてくれた。

見たことのない子だ。
引っ越してきた挨拶だろうか。
こんな時代に、なんて律儀な。


「え……? 」


手渡されたのは一枚の紙切れ。
入居のご挨拶にしては、結構変わってる。
まあ、今時こんな若い子が、洗剤なんて持って挨拶したりしないよね――そんなことを考えながら、ここでもぺこりと頭を下げながら渡された紙を、無意識にそのまま受け取り、目を通すと。


「……は……? 」


書かれた日本語を理解できず、思わず彼の瞳を下から見上げてしまった。
普通に考えて怖がるべきなのに、相手がかなり年下だからか、恐怖よりも真意が知りたい方が勝っている。

だって、そうでしょ。
どこかオドオドしてて、いきなり見つめられたからか、ほんのり頬を染めた可愛い男の子が、こんなおばさんにそんなこと言う意味ってなに?

A.若い子が年上女をからかっている
B.何かの罰ゲーム
C.………


『何もしません。でも、ご希望ならします。だから――……』


もう一度、ぺこり。

何が一番あり得ないって、ガチガチに緊張してるって雰囲気が、有力な選択肢A,Bを消去してしまいそうになることだ。

選択肢、C。


『――だから、僕といてくれませんか。お願いします』


――何が何だか分からないけど、とにかく彼は本気で言ってるんじゃないかって。






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