おいで、Kitty cat
「……っ」
「ただいま」のうちの、一文字も言えなかった。
ドアが開いて、玄関に足を踏み入れた瞬間に首からそっと抱き寄せられたから。
「おかえり」
「た……だいま。もう、ちゃんと寝てなきゃ……」
一段上から寄せられて、バランスを崩して永遠くんの胸で頬が潰れた。
「熱下がったからいいの。彼女の言いつけ守って、仕事もせず、ずーっとさくらからのLINE見てた。だから、もう限界」
「……そ、そんなこと言いつけた覚えは……」
あったかいけど、確かに熱はなさそう。
リモートだと、つい無理して仕事しちゃいそうだけど、欠勤の連絡してくれたのはよかった。
「文字だと、ずっと見てられるからいいね。でも……やっぱり、悶々しちゃって。お願い」
――声で聞かせてよ。
「……う、もう、おまじないは……」
「いらないけど。一人でいて、寝たり起きたりしてたら……夢だったんじゃないかって。だから、ね」
――好き、だよ。
「好きを教えて」って強請ったのに、先に伝えてくれる永遠くんの優しさも温かい。
「……好き」
そういう時だけ、私は素直にくっつくから。
永遠くんは笑って、言い終えた私の頬を持ち上げた。
「ん。すごい嬉しいし……可愛い」
「も、もう。好きのフィルターかかりすぎたよ」
額に降りた唇が離れてから、自分から寄ったはずの胸を押し返す私も相当だ。
やっと室内に上がれてほっとする私を見透かして、永遠くんが楽しそうに笑った。
『フィルターでもバイアスでもない。ただの相乗効果』
「好きだともっと可愛いし、可愛いからもっと好きになってく」
「……そ、それがフィルターなんだよ」
間にスマホを取り出した意味を問いたくなるほど、永遠くんの声が紡ぐ言葉は甘い。
(耳が蕩ける……)
声自体が甘いから、既に痺れているところをやられてしまう。
玄関から部屋までの道のりでこうなら、立ち止まったら――……。
「ううん。寧ろ、逆。さくらは、俺の世界をどんどんクリアにしてく。さくらといると俺、目のフィルター、なくなってくの分かる。正直、時々痛くなる時もあるけど、幸せの方が比べることも思いつかないくらい大きい」
鼓動が早くなる。
体温が上がる。
『知ってる? 動物とか、赤ちゃんの可愛さって身を守る為の武器なんだって』
「さくらの可愛いスキルも、半端ないよ」
キャパシティを遥かにオーバーしていた。
ボンッて火を吹くような音が聞こえた気がするくらい、ポンコツロボットな私には対応不可能だ。
「そ、それは永遠くん……!! 」
「さくらにはね。だから、潔く活用してる。でも、さくらの可愛いは狡いね」
それは、潔いって言うんだろうか。
いや、それよりも私は可愛いなんて呼べる生物じゃないし、生きてるのも疑いたくなるほどだし、だから、けして狡くない。
『そんな可愛い反応されたら、如何に俺の感情が邪なのか思い知らされて……悪いことするの、躊躇っちゃう。それって、さくらの防御本能なのかも』
いやいやいや、ただ不慣れなだけです。
ドキドキするのも、好きな人といて安心できるのも、それでいて息が止まりそうになるくらいの苦しさを同時に味わう謎の状況も、新鮮で緊張して、変な反応してしまうだけ。
『でもね。何度も言うけど、永遠くんオスだから』
「可愛い彼女に可愛いって言うだけじゃ、全然足りない。……会社で、どんな顔して“好き”って言ってくれたのか……想像するだけで嬉しくて、気が狂いそうだった」
後ろから抱きついてくる永遠くんの呼吸を、首筋で感じる。
それってつまり、永遠くんは屈んでいて。
これほどの身長差だと、きっとわざと、唇の位置をそこに定めたんだろうと思ってしまうけれど。
「もう、いいこに“待て”はできなさそう。……お留守番で待ちくたびれちゃった」
(……熱は……? )
早く治ってよかったけど。
――背中の仔猫は、元気満々のようです。