おいで、Kitty cat
きみは知らない
「完全に治ったから、デートして」とのお誘いを断る理由は、何一つなかった。
「いいこにしてたから、治ったよ」というあの日の主張は何だったんだろうという正当な疑問も、口に出せないくらい。
この前は嫌な思いをさせてしまったから、今度こそ永遠くんにも楽しんでほしいという意気込みもあるし、もちろん純粋に嬉しい。
『早く会いたいから、迎えに行ってもいい? 』
という申し出があれば、尚更だ。
仕事終わりに待ち合わせをすれば、それだけ同僚に見つかる可能性は高くなる。
だから、今度は絶対、逃げたりしないんだ。
いつもとちょっと違う服装、就業後駆け込んでの化粧直し、「急いでます」を言い換えた「お疲れさまです」。
見慣れた光景も私がやれば物珍しくて、永遠くんがすぐそこに来ているだろうことは、騒ぎを知ってる人なら想像に難くないだろう。
実際、私は急いでた。
早く会いたいのは私も同じで、何なら私の方が会いたいなんておバカに言い張りたくなるくらい、会いたい。
何とか我慢していたのに、狭いエレベーターから抜け出して、自動ドアのむこうに手持ち無沙汰に待ってる永遠くんを見つけてしまったら。
「永遠く……っ」
少し離れた先にいる永遠くんは見えていたのに、すぐそこに立っていた人のことはまるで見えてなくて、その人に正面からわりと派手に体当たりしてしまった。
「……だ、大丈夫ですか? ……って、清瀬さん。すみません! 」
「い、いえ。こっちこそ、前見てなくて」
数歩分弾き飛ばされ、転びそうになったところを支えてくれて、顔が見れない。
ぶつかる寸前に見えた顔とこの声は、恐らく隣の部署の人だと思うけど。
(また、想定外の羞恥……)
まだ距離がある彼氏は見えてるのに、真ん前の人を視界から消し去っていたとは。
「本当にすみません。お疲れさまです」
そして、今も彼しか見えてない。
ぶつかっておいて、本当に失礼な態度だなと思いつつも、早く早く永遠くんのところに行きたかった。
「ごめん、お待たせ……! 」
ものすごい勢いで走って来られたからか、永遠くんの目が真ん丸に開く。
「……ううん、そんなに待ってないよ。お疲れ」
外だからかな。
一瞬、触れてもいいか迷うように、背中に回った腕が宙に浮いたまま彷徨う。
「永遠くんも。……あの」
私がしたみたいに、手を離されたんじゃないのに。
寂しくて、でも嫌じゃないかと怖がって、袖に触れるだけで我慢したりして。
「……ごめん、見えてたんだ。俺を見て急いでくれたの、すごく嬉しかった」
「……そ、そっか」
もう、誰の目も気にならない。
嬉しかったって言いながら、なぜか切なそうにする永遠くんの瞳以外。
「なのに、駆け寄ってあげる勇気出せなかった。……ごめん」
「え……? そ、そんな。距離あったし、会社のビルの中まで入りにくいの当たり前……」
「うん……ううん。でも俺は、あの時彼氏になりたがったんだよ。あの日だけじゃない、まださくらが俺を知らなかった頃からずっと。……好きな人にあんなことしてまで、自分が欲しがったくせに。……ごめんね」
背中を抱いた腕の力は、当然さっきの人より強くて。
痛くはないけど、永遠くんにしては少し強引な気がして驚いて見上げると、彼は力を緩めて複雑そうに笑った。
「俺の為に走って来てくれてありがと。……俺も、会いたかった」
お礼というよりは、何か決意や誓いのように聞こえて、首を振っていいものか迷う。
「待っててね、って言ったばかりなのに。……俺、さくらを待たせたくないみたい」
どう動いたらいいのかと、学習能力を必死に使おうとするロボットみたいな私に、口角だけ上げて。
目は細くなることなく、私の目を見つめたまま。
これ以上深く皮膚に沈めないほど、私の手首に唇を当てた。